「NIMBY、廃棄物処理場への対応」
2008年11月23日 渡部英宣
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会員の高橋さんが、地元での廃棄物処理場の問題で、大分活躍されているらしい。
返信欄に書いた様に、結構大変な問題である。今回ここでは、この問題の一般論をまず考えて見たい。
一般論としては、良く言われる様に、NIMBY (ニンバイ、Not In My BackYard) 即ち、総論賛成、各論反対で、廃棄物処理場を作る必要性は判るが、それが私の裏庭や、我が町に来る事は困ると言う話である。
そこにそれなりの大きな特殊事情があるなら、それなりの収め方があるかもしれないが、一般論としては特に理由は無い。只、多くの場合、廃棄物処理施設が作られると、その近辺の土地の価格は下がり、その近辺で生活する人達には往々にして不利益が生じ、何らかのしわ寄せが出て来る。又、処理場自体の設置だけでなく、廃棄物を運搬する為の道路問題でさえ、大きな問題となる。自分の家の前を、わが町の中を通るのは困る、自分の処では駄目、他でやってくれと言う話である。
何処に持って言っても同じ話が起き上がる。色々な理由を作り反対する。逆に推進する側は、難癖を付けられたく無い為、多くの場合、問題を隠す。絶対に安全だとしか言わない。この為、顔役が幅を利かせ、時には贈収賄等不明朗な問題が付きまとったり、場合によっては、その筋の怖いお兄さんが出入りしたりする。この様な事が起きるのは、この様な問題の解決に定まった方式な無いからである。
そもそも、廃棄物と言うのは大は核物質の様な物から、企業で使われた様々な汚染物質で処理出来ずにいる物、医療現場で使われた様な特殊廃棄物、一般の家電製品等を含むやや嵩張る物、小はリユース、リサイクル等分別処理される小物、家庭用の燃やす事が出来る一般廃棄物、建設残土やビル家屋等のスクラップに至る迄様々な物がある。どれもが我々が最初は喜んで使っていた物、又はそれらを作る過程で出来た物である。
しかし、一旦ゴミと分別され始めると、途端に扱いが異なる様になる。購入当初は胸をワクワクさせた、TV、洗濯機、冷蔵庫等の電化製品も、新しいものが来て粗大ゴミとなると、もう嫌われ者である。実はこの様なことは製品だけでなく、自分自身にもある。自分の口の中にある唾液でさえ、ペット吐き出されると、途端に触れることも嫌われる。数秒前まで自分の体内にあった屎尿も、排泄されるともう汚物として極端に嫌われる。
それでも、長い葛藤の歴史中で環境汚染問題が深刻になって来て、取り扱い方法が決められて来たものも多い。リユース、リサイクル等、それなりの価値があり、多くの自治体や夫々の消費者の協力の中、企業の方で何とかビジネスにする為の努力がされつつある。
ISO等、従来の環境マネジメントでは、企業の対応方法、問題の処理の仕方、そのプロセスのあり方等を問うているが、その種の問題の解決の方法、基本的なアプローチの仕方には全く触れていない。自治体や住民の側でもその様な事に慣れていない。全てのステークホルダー、即ち住民を含め全ての利害関係者が受け入れられる、解決の為の仕組み、そのプロセス等は考えてもいない。
もしその様な仕組みが定まっており、上手く行っている事例が多ければ、余計な反対運動は起きない。重要な事は、受け入れ等をお願いする時には、受け入れる側が賛成出来るメリットを最初から条件としてペアで開示することではなかろうか。自分に取り、わが町に取り歓迎すべき事なら、住民の方から誘致運動が起きるであろ。廃棄物の燃焼で得られた温水でプールやお風呂、公共娯楽施設を運営したり、温水を供給したりする等様々なメリットの住民サービスの取り組が期待される。
但し、核処理施設問題等、条件等ではなく、何が何でもNOと言う場合もあるという反論もあろう。又、簡単に受け入れれば安全問題等も簡単に処理されてしまうのではと言う議論もあろう。どの様なスタンスで対処するかで対応が異なってしまうので、まずは反対の方が安全であると言う戦略・戦術もあろう。しかし、多くの場合、本音ではメリット・ディメリットの計りに描けて結論付けているのではなかろうか。
又、受け入れ可能なメリットのレベルは夫々のケースで異なると言う意見もあろう。そうかも知れないが、第3者が聞いても妥当と思われるレベルに収束させる考え方を一般論として盛り込み、仕組みの中に取り入れることが重要と思われる。通常それは条件闘争の様なものであり、より多くの譲歩を迫ることであろうが、第三者が納得出来る考え方、試算の方法として体系付けられるのではないか。その様な仕組み、考え方の方式を開発することが大切であろう。
考えるべき事は、反対運動等後ろ向きの活動にエネルギーを費やす事より、より多くの情報開示により、問題点はどこにあるか、どの様にしたら最善の対応が出来るか、より安全か、将来に禍根を残さないか等に意識を集中させる事の方が、得るものが多いのではないかと言うことである。但し、プロジェクトの推進側が、カネで顔を叩く様な態度で迫れば全く逆効果となろう。ここではあくまでも解決の為の仕組みづくり、将来に於いても問題を起こさせない為の仕組みづくりを言っている。反対の為の反対が起きたり、問題とされるのを避ける為に、情報の隠蔽がされること、そしてそれに付随して各種の不明朗な事柄が出て来たり、暗躍する人物等が出て来ることが無い様にする事ではなかろうか。
諸氏のご意見を拝聴したい。
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