スタート:
全国的な雨上がりの翌日、10月25日(土)午前7時、荻窪駅集合からツアーは始まった。佐倉からの小生は4時起き。未だ真っ暗である。途中、新宿駅で地下街の改装の為、全く方向が判らなくなったお上りさんの小生、東口から西口を行ったり来たり駆け回っているうちに電車に乗り遅れ。疲れてへたり込んでしまった。しかたなく、後続の快速で中野駅迄行き、遠くの総武線プラットホーム迄、重い荷物をかかえ再びダッシュ。息せき切って倒れんばかりとなってしまった。
奥澤さんから集合場所として、「丸の内線改札口東京より」との連絡を受けていたが、修さんが「荻窪駅阿佐ヶ谷寄り改札口」と変更、その後、最終として「荻窪改札中央口」へという指示があったのに、行ってみると中央口等存在しなかった。修氏の独自?の命名により、全く判らない小生は再度右往左往。2時間しか寝ていなかった事もあり、最初からかなり疲れ、前途多難が予想された。
関越高速北上。運転が慎重な奥澤さんは高速道路を中速?で走行。しかし、ほぼ予定通りに松代へ到着・・・・と思ったが最後に分岐で間違い、ヒヤヒヤ物。運良くインターの支払所前でUターン出来たが、高速道でのUターンは初めて。ほっと胸を撫で下ろした。
全員集合:
松代のサービスエリアにて、高橋さん一行(吉野さん、平井さんを上田駅でピックアップ。)とバイクの天木さんと落ち合った。驚いたことに、高橋さんの奥様と、アメリカ帰りの高橋さんのお嬢さん、尚子さんも参加されていた。あのマラソンの高橋尚子さんと同姓同名。
BMBのバイクに乗った天木さんは、Audioをがんがん鳴らし、タンゴや演歌、歌謡曲を聴きながらの走行。タンゴのタッタッタッタという音楽を聴きながらバイクにステップでもさせている様である。天木さんにしがみ付く後ろの美女を彷彿とさせる。何しろ、彼の車が近づいてくるだけで、窓を閉めた我々の車の中からも、大きなステレオ音が聞こえてくるのだから物凄い。しかし300Kgもの車体が倒れたらを考えると、0半で事故った事がある私等身震いがする。カッコ良さは危険と紙一重。そこに掛けるのが粋なのであろうか?
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以下、高橋さんがガイドしてくれた順にコメントを記す。
(注1:ここに掲載している写真を含め、多くの写真は一括して奥澤作郎撮影 渡部英宣撮影 高橋尚子撮影に掲載してある。)
(注2:史跡等のリンク先は、公式サイトや、写真・説明等、内容的に良いと思われたものを厳選してある。)
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武田信玄本陣:松代城(海津城址)〜文武学校:
午前中は真田10万石の城下町、松代観光。最初が松代城址、そして文武学校。長い年月の練習による減りで、節が浮き出ている剣道道場の厚い床板を見ていると、剣道7段・教士の免状迄取った在りし日の父の姿を思い出してしまった。自分が歳を取ったせいか、嘗ては反発していたのに、古武士風の厳格な父を事あるごとに思い出す。又、道場の説明をする案内人の方の、町を上げて旅行者をもてなそうとしている様な細やかな配慮と説明・対応に、地方の時代を感じた。
(右:文武学校の境内外壁) |
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象山神社:
車を置いて松代の町を歩いて象山神社へ。我々は「しょうざん」と習っていたが、ここでは「ぞうざん」である。
ぞうざんと言うと、どうしても造山運動を思い出してしまう。地震で有名になった松代だからであろうか。
(右の写真:祈願成就を背負いて無事カエル) |
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旧横田家住宅:
玄関は当主か、当主と同格以上の客人のみが通る事がゆるされるとの説明。又、粗末なござを敷いた離れがあったが、使用人の部屋かとおもっていたら、隠居部屋との事。昔で言えばそろそろ隠居が言われる年齢に達しつつある我が身、隠居すると急に待遇が変わるんだなと、迫り来る立場にいささか意気消沈。(いや既に我が家での立場はそうなっているのだが、、、、)
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竹風堂:
栗おこわ弁当を食べた。一種の精進料理であろうか。しかし味は良く、十分に満足。但し、併設されていた池田満寿夫美術館に行けなかったのは残念。
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松代象山地下壕:
付近の住民や朝鮮人を述べ300万人も使って掘ったと言われる第2次世界大戦末期に作られた防空壕。延長は10キロメートル余に及ぶと言うその巨大さにびっくり。単に遺跡としての保存では建設途中で事故にあった犠牲者に申し訳ない気がする。何か有効に使う道はないのであろうか。1年中変わらぬ冷気、安全さが保たれるなら、幾らでも使い道はあると思うが。。。。 |
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小布施・北斎館:北斎館2
北斎の絵画、版画を纏めて見れるがその技量の凄さに圧倒される。北斎その人の技量と共に、版画の彫り士や刷り士等、関連する人たちの見事な連携が感じられる確かな仕事があって始めて完成されることが実感された。それにしても、90回もの転居とは驚く。如何に物が無い昔の時代とは言え、絵画の道具だけでなく、家財道具だって最低限の物はあったであろうし、それなりに苦労があった筈なのに、その様な話は聞こえて来ない。筆と墨だけで、ふらりと転居が出来たのであろうか?
小布施は原宿界隈や軽井沢界隈を思わせる、ファッショナブルの街であった。色々なお店があり、時間があれば、ゆっくりと散策して見たかった。
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姥捨てサービスエリア:田毎の月、田毎の月2
さらしなの里の夫々の田んぼに夫々月が写る。えっ本当?と思ってしまった。田んぼが同じ高さなら起きる筈がないが、段々畑風の為に起こる現象と判り納得。納得出来ない方は複数見える原理を参照下さい。とても風情がある。このサービスエリアの第一の売りであろう。でも、月の夜にしかも、田に月が写りこのエリアから見える時刻にここに来れる人はそう居ない。これも残念。
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たんぽぽ堂:
日がどっぷりと暮れてからたんぽぽ堂に向かう。かなりの田舎道を走り、山間の小さな家に着いた。細い小道を少々登り、着いた先はえっこれが民宿?普通の田舎の民宿を想像していたら、かなり立派な別荘。田舎暮らしに憧れた脱サラの吉田良一さんが、定年前に始めたもの。田舎暮らしの達人として紹介されていることにビックリ。本物の暖炉がかもし出すまろやかな暖かさに、アメリカで味わった暖炉のある住空間を思い出してしまった。各部屋にある様々な小物は世界各国の調度、土産類。民宿と言う説明が相応しくないなと思ってしまった。
たんぽぽ堂の特徴はそれだけでなく、メインの食事がヤギさんからの贈り物。チーズ、ヨーグルト、お肉等。40頭も居る為、長期に不在とする事が出来ないとの話であった。8名しか受け入れが出来ないとのことであったが、別棟もあり14〜15人位はOKの様である。
同守吉田さんと、天木さん、高橋さん、渡部修さん等の不思議な繋がり等が語られ、モラル会の幅広さに触れる思いがした。
しかし、普通の田舎暮らしと異なり、ヤギ40頭もいると、その世話だけで、大変なものであろう。本来はとても、定年を過ぎた夫婦二人で出来るものではないのではと心配してしまう。結構良い民宿/別荘である為、逆に代替わりを真剣に考えないとこの先、不安である。
たんぽぽ堂ライフ 「定年後は夫婦で農業を実践」 |
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26日
玉村豊男ワイナリー: 玉村豊男ライフアートミュージアム
ヴィラデスト
朝一番でワイナリー見学。朝からワインが飲めると期待して行ったのだが、ファームを見ただけ。大いに残念。
エッセイストの玉村氏がファームやレストラン等幅広いビジネスを立ち上げているのを見てビジネスモデルの多様さ、重要さを実感。ビジネスモデルが良いから40人もの賛同者・投資者が出てきて、しかもステップバイステップで伸ばしてきたから成功したが、扱い品目の広がりの多さにびっくりである。天木さんが言う様に、木で覆われた山を見て、伐採した後のイメージが湧かないとビジネスは成功しない。木を見て森を見ずと言うが、森を見ず山を見る事の大切さが判った。
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上田城〜上田原古戦場 |
長野県の塔大法寺三重塔(写真):大法寺三重塔2(説明)
高橋さんから、信州は京都に負けない程の国宝級重要文化財が沢山あると言われていたが、本当に神社仏閣の多さに驚いた。これは、戦国時代等の戦乱で多くの死者を弔ったことに由縁するのであろうか。信州・東海路の塔 長野県の項を見ても、その多さに驚く。中でも大法寺の3重塔の優美な曲線にはうっとりさせられる。
(右上の写真)
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国宝八角三重塔:(安楽寺⇒三重塔 写真)
四重の塔かと思ったが、初階(初重)が裳階(もこし)と言うものであることを、初めて知った。1290年代(鎌倉時代末期)の建築と判明したとの事。よくもまあ718年も災害に逢わずに、、、、と感じ入った。8角形と言う形も又珍しい。綺麗な塔である。 (下の写真) |
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前山寺三重塔:
前山寺で有名な胡桃オハギは休日の為食べられなかったのを残念がり、高橋さんの奥様が気を利かせて手作りでご馳走してくれた。高橋さんご夫妻の心憎い連携に頭が下がる。オハギと聞いて、あんころ餅風の丸いものを思い浮かべていたが、もち米ご飯に胡桃のクリームをかけ、緑の大根おろしを添えた平らなものだった。緑の大根の綺麗さが印象的であった。 (右下の写真)
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北向観音〜中禅寺
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無言館:
戦没画学生の絵画を集めた慰霊美術館。若くして外地で散った多くの若者の中で、絵画の才能に秀でた人達の絵や手紙、遺品の数々。恋人や新妻の裸婦の絵を通し、意に反し出征せざるを得なかった彼らの無念さがひしひしと感じられた。又、心配をさせない様にと気を使う戦況を表す手紙等にも、父母、妻を思う、死に行く彼らの心情が強く表れているように思えた。
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鹿教湯温泉「鹿乃屋」: 2日めの宿
入り口はあまりぱっとしない、普通の旅館。しかし、玄関ロビーにデンと置かれた人の背の高さ程もあるTANNOY の特大ピーカーや真空管アンプにこの旅館の音や音楽に対する拘りが現れていた。そして沢山の絵画が飾られ、大きなグランドピアノが用意された防音室の部屋で行われるコンサートは、美術館と音楽のある旅館として紹介されるに恥じないものであった。
鹿乃屋の斉藤さんのフルートは単なる趣味の域を超え、とても綺麗な音色であり、音楽への情熱が感じられた。さすが三室さんご推薦の旅館である。コンサート終了後、酔いも手伝って小生も音出しに参加。続く隠し芸会では、若い頃には相当入れ込んだと思わせる天木氏のクラッシックギターや、平井氏の詩吟も出てきて盛り上がった。夜も更けており、TANNOYのウエストミンスターの音が聞けなかったのは誠に残念。次回は是非聞きたいものである。
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27日
諏訪大社:上社(本宮、前宮)下社(春宮、秋宮)
秋宮から見学スタートした様だが、幾つもある同じ様な神社に、何が何だかその違いがわからなかった。最後に諏訪大社本宮をお参りしたが、ここが幾つもある神社全体の本宮であると知り、その割りに他よりも小さいのではと少し驚いた。
上記諏訪大社の説明によると上社は男神、下社は女神を祀ってあるらしい。又日本書記の時代の○○○命(みこと)と言われる、祀ってある各神々により幾つかに別れ、そのコピーが全国に散らばっているらしい。
平井さんが「お参りには賽銭を欠かすな」とおっしゃっていたこともあり、全ての神社仏閣へ普段より余計賽銭を出してしまった。(大枚をポンと出す人に比較すると本の僅かの小銭ではあるが、、、、)
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神長官守矢資料館:神長官守矢資料館2
高橋さんによると、天皇家より長い系図がある家系とのこと。運悪く休館日であり、資料館は見ることが出来なかった。しかし、守矢家の敷地全体と、家屋・館そのものは見ることが出来た。
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今回の信州上田ツアーは高橋会員発案と、アレンジではあったが、三室さんとの繋がりや、高橋さんの奥様お嬢様の好意によるところが大きいとつくづく感じました。戴いた資料や、帰宅してからも送られてくる多くの資料の用意だけでも、大変であったろうと、推察します。一言で言うと「おんぶ・に・だっこ・に・肩車」の楽しい旅行でした。
処で、武田信玄や上杉謙信等への色々な思いが、高橋さんのツアー中の説明の随所に見られ、日本史は教科書の世界でしかなかった小生にとり、土地の人との関わり合いの中、実生活の深い処で連綿と続いている歴史の影響、因縁が信州を今尚支配している事に非常に驚かされました。
平井さん、天木さん、修さん、吉野さん等、皆さん物知りで、小生は理解するのに精一杯。高校時代担任で日本史の猪谷先生の元、非常に苦労したのですが、今尚祟っているのに気づかされました。
兎に角、この度は本当に有難うございました。高橋家の皆様を始め、参加者全員に感謝申し上げます。
(ビデオあり。)
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