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 会長の山口広太氏 テレ朝 「リーダー列伝」に出演 1月26日(土) 朝6ー8時
 2019年 を追加しました。
 頁2018年をを追加しました。
 
 2018年年頭に当たって
 
 昨年末、ぎっくり腰、へっぴり腰を患い、年初までに一旦快癒した筈なのですが、6日に練馬の修道院にて開催された岩島忠彦神父を囲む新年会に参加、当日21時の終宴位までは順調だったのですが、以後意識が薄れ可笑しくなってしまいました。
 それまでワイン、ブランデー、ウイスキーなどを意地汚く飲んで居たのでしょう。極快調だったのですが、そこに女性が「八海山」をなみなみと注いだグラスを寄越したのです。礼儀を何より重んずる私ですから即座に飲み干し、再度注がれたグラスの酒をも一気に飲んでしまいました。

 修道院を出たころ娘が「一寸待っていて」というのを他所に、皆さんとは違う方向に勝手に歩いて行ってしまったらしいのです。泥酔しているので塀とか壁とかに体中をぶつけつつ七転八倒しながら歩いているうちにとあるお屋敷の門内に入り込み、寝込んでしまったのです。暗闇の中ふと目覚め、暫く明るい道を求め歩き、漸くタクシーを捕まえて乗り込み、運転手に自宅の住所と電話番号を告げそのまま寝入ってしまいました。

 この間(かん)自宅では110番や119番、心当たりの人など手当たり次第に電話をしたりで大騒ぎだったそうです。タクシーが到着した所で家内と娘が怖い顔をして待っていました。7日の午前2時過ぎです。この事件で体中打撲傷を負い、通院したりで不調が未だに続いているのです。

 でも何とか右腰が痛むだけになったので、皆さんからの強い要請もあり英宣氏に相談、恒例のモラル会新年会を28日に開催することを決め、彼に案内をして貰っているところです。既に10人以上参加の回答が寄せられています。7日の7、八海山の八、と悪くない数字も揃いました。

 加えて川口 顕さんから4月に熱海で気炎を上げようとの朗報がもたらされました。
大野屋が格安で泊まれるほか、他の4つのホテルの風呂も利用できるとのことなので、是非皆さん奮ってご参加を。

 一昨年11月にフレディ・コールのコンサートに家内共々行ってきました。娘がコットンクラブに招待してくれたのです。ナットキング・コールの弟でナタリー・コールの叔父さんでもあります。中々の内容で、昨年12月もと思っていたら今度は娘と家内で行かれてしまいました。中身も充実し、フレディさんもますます張り切って演じたそうです。今年87歳になるというのに凄いなと圧倒させられてしまいます。我々も負けてはいられませんね。

 という訳で今年もどうか宜しくお引き回しの程、お願い申し上げます。 

18年1月28日        
モラル会幹事  渡部 修

 
 2017年年頭に当たって

■どうにも困った人が米大統領になってしまった。
昨年7月いったん解決済みとされたヒラリー・クラントン氏の私用メルアドを公務に使っていた問題が又もや蒸し返された。今次選挙では9月下旬から期日前投票が実施され、投票者は有権者の4割に相当する5千万人に達したとされている。投票日(11月8日)が間近に迫った10月下旬、FBI(連邦捜査局)のジェームズ・コミー長官が証拠になるかどうかも分からない段階でクリントン有罪の印象だけを与える電子メールの存在を明らかにしたのである。何故か?クリントン氏に勝たせたくなかったからなのか?しかも新たに浮上したメールに機密情報が含まれていたかどうかは捜査中だと公表した切り、口を閉ざしたまま。

コミー長官は投票後の11月の連邦議会に、クリントン氏関連で新たに調べたメールに違法性を示すものはなく、訴追に相当しないと通報した。連邦機関が大統領選に極めて不当な関わり方をしたのである。250万~500万票が不正疑惑票とのニュースも流れ始めた。民主主義国家にあるまじき沙汰である。こんな危険人物に核ボタンのスイッチを預けてしまっていいのだろうか。大半の米国民は今からでも異議申し立てをすべきではないかというのが私の持論である。いずれにせよ難民流入禁止措置を始め、世界はすでに攪乱され始めてしまった。背景でロシアのプーチン大統領が相当な影響力を行使したとも言われている。
 結果、白人貧困層(プアホワイト)が息を吹き返し始めた。ウエストヴァージニアなどでは例のKKKの活動が活発化している。


■それにひきかえ、わが日本はどうか。
例えば昨年秋の北方4島の日露交渉はどうだったか。ひょっとしたら全島返還かと思わせるような首相談話、報道がなされていたが、結果NOTHINGだった。事前にプーチン大統領が言明していた通りだった。彼は以前、「自分が大統領に就任した当時の領土を保持する責務がある」と語っていたのだ。しかも共同開発との名目で多大な投資を約束してしまった。ロシアのコントロール下で。つまりロシアの都合でいつでも中止出来るわけである。その際、”カジノを”と囁いたとの噂もある。もしこの話が本当だったら実に情けない話だ。


■このところすっかり韓流ドラマ(歴史もの)にハマっている。
「イ・サン」「トンイ」「インス大妃」…。困ったのは主人公名や俳優名などが覚えられないこと。イ・ソジンやハン・ジミン(この名前は気に入っている、女優)などはすぐ覚えたが、実際には僅かな役名しか覚えられていない。しっかりした系図が手元にあれば劇内の人間関係などを理解できるかもしれないが、これが中々厄介なのだ。故に家の中では馬鹿にされている。「こんなことも分からないの」。私がかつて連中に投げかけていた言葉が、今や自分に跳ね返ってきている。情けないにも程があるというものだ。

 加えて副作用もある。昨年10月下旬、外猫に引っかかれ大騒ぎしてしまった。夥しい出血で色んな医院に飛び込んだのだが、金曜日の夕刻6時過ぎということでどこも対応してくれない。唯一リハビリ医院の医師だけが診察してくれた。破傷風という言葉を聞いて、もしかしたら駄目なのではないかと思ってしまった。明らかに韓流ドラマの影響だ。家族はせせら笑っていたが。でも韓流ドラマはもう暫くは視続けようと思う。朝鮮半島・中国・日本の歴史を学びつつ。


■先週、大学時代の仲間5名と同期会を催した。
11時半、四谷駅集合、全員小生よりも早く到着。先ずプラザF(主婦会館)2Fのレストラン(バイキング形式、千円)で食事、最初にビール(500円、3本)で乾杯、旧交を温めた。ここは娘に教えられた所。娘が当時の高円宮典子さんと一緒に来た後、典子さんが美智子皇后をもお連れしたという。その後寒い中イグナチオ教会、ホテルニューオータニの庭園を見学、赤坂見附に至り「ガスト」に入店。偶々私の誕生日だと明かすとビール、焼酎、ピザなどを次々注文、盛大に祝って呉れた。実はこの日、小生だけネクタイ姿、それとなく何かを仄めかしていたのだが、誰も何とも気付いて呉れない。一寸残念。支払いは計6千円強。1人当たり千円強だが、私だけフリーにしてくれた。来年はイブに当たるが、さて果たして何人来て貰えるか。


■暮れ辺りからクラス会、同期会の話が幾つか出始めている。
12月に貰った手紙や年賀状を3,4日前ゆっくり読んでみた。何のことはない。私に名簿作り、会場探し、日程など企画をせよとの指示なのだ。余程暇を持て余していると思われているのか。しかも「〇〇さんと連絡を取ってやって下さい」。「だったら君やりなさいよ」と言いたいところなのだが、昔から何となく彼には逆らえない雰囲気。仕様がないか。


■最近痛感するのが仲間、及び配偶者の病気。
昨年夏位までよく会っていたA君は腰痛その他で動けなくなってしまった。T君はうつ病で会いたくないと言っていたが、昨秋強引に会ってきた。K君とS君とはそれぞれ奥さんの介護で2時間以上は離れられない。ともかくこうなったらこちらから出向くしかない。
 三菱総研時代の後輩が3人亡くなった。そのうちの1人はよく自分の畑で栽培した野菜を届けてくれた。現役の大学教授だったが、刀剣を蒐集していて7,8年前、盗難にあい、新聞種にもなったほどだ。時価何千万円。もう少し親密になっておけば良かったなと反省することしきりである。

モラル会幹事
渡部 修(17年1月31日)

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 2016年年頭に当たって      幹事  渡部 修

 正月5日の新年会は17名の皆さんの参加を得、盛況のうちに終えることが出来ました。会場は故太田正彦君(元モラル会会員)夫人哲子さんが勤務されている稲田屋新宿西口店。参加者の最年長は班目雄さん(87)、次いで山口廣太(ひろた)さん(80)、渡辺順彦さん(79)、最年少は河口良伍さん(43)。平均70歳代半ば。河口さんは今年、初めての子供さんが誕生予定とのこと、喜ばしい限りです。山口さんのラジオ体操に始まる健康法紹介は圧巻でした。その他の皆さんの声等の一部をご紹介します。

 ・(㈱)アテナを経営する渡辺さん:オリンピックに関わる事業に注力、旗事業を中心に様々な展開を検討している。 
 ・:学校の警備関係の仕事に携わっている。かち”歩会にも是非皆さん参加を。 
 ・高橋:横浜市のマンションに始まる杭打ちの不正問題に関し、詳しくコメント。 
 ・杉本:アクシデントで頭部を強打・損傷、漸く回復、以前の状態に戻りつつある。荻窪南口のアパートは処分した。 
 ・松山:孫のゆうきちゃん(ショーン・ローリー氏長女)は元気に学校に通っている。
 ・班目:苗字と地名の密接な関係につき講釈。班目家と今野家は先祖が仙台藩士。(因みに渡部修の家は水飲み百姓の出)
 ・渡部英:HP現状、“モラル会home”にて検索でTOPに。間もなく"モラル会"入力で瞬時に見られるようになるとのこと。それと皆さんの投稿をお待ちしている。 
 ・村田:石井彰さんのことを書いたので詳しくはHPを。 
 ・並木:各地の親善大使を務めている。 市田柿を持参したのでご賞味を。モラル会の年会費は幹事との協議のうえ前年度廃   止。 
 ・今野:2本あった歯が1本に。人の3倍話していたのが2倍になってしまって悔しい。 
 ・奥沢:かち”歩会で活躍、関西にも行って来た。11月下旬には渡部修氏と大連ツアーに参加、雪の中を203高地征服。 
 ・中山:病気で大学講師もやめた。野菜・果物の栽培をやっているが、柿が思いのほか沢山採れた。
 ・川口:自分が代表を務めるレッド・アーカイブズ刊行会から出した『奥浩平 青春の墓標』につき紹介。’60年代後半のベストセラーを復刊。 
 ・長嶺:モラル会に誘ってくれた平井さんがいないのが寂しい。皆さんには是非、猫を大事にして欲しい。(岩合さんの番組いいですね)
 ・渡部修:古館伊知郎さん、岸井成格さんが官邸の圧力で番組を降板することになったが、国谷裕子さんも心配だ(言ってるそばからNHKは13日国谷さんの降板を決定)。
  昨年3月にビッグサイトからのバスで偶然一緒になりましたが、とても感じの良さそうな人でした。

■モラル会メンバーの石井さん、寺岡さんのご逝去についてはご案内の通りです。皆さん馴染みが薄かったと思いますが、寺岡さんは早い時期に安原宏さんの紹介で入会された方で物静かな人。遂にレクチャーはされませんでした。一時就職を依頼され、天木氏を介して決まりかけたのですが、如何せん遠距離過ぎて実現しなかったのが心残りでした。
 所縁の方達も逝かれました。会員だった故立岩二郎氏のお膳立てでゲストにお呼びした野坂昭如氏。立岩氏は当時野坂氏の特別秘書の任にあったのです。野坂氏が小生の金釘文字のFAXを読んで下さり実現の運びとなる筈だったのですが、当日(03年5月26日)、予定の時刻になっても現れません。立岩氏に何とか連絡が取れたのですが、今新潟にいるのでどうしようもないとのこと。結局、雑談会になってしまいました。安原和雄会長は「偶にはこういうのもいいんじゃない」と意に介しませんでした。2日後秘書の方から連絡が入りました。野坂氏が急遽入院したため家族全員出払っていたとのこと。回復したらいの一番でモラル会には行かせて頂くとのことでした。以来12年余り、ずっと待ち続けていたのですが、とうとう叶いませんでした。享年85歳。
 普段公には講演されなかった時事通信社長を務められた村上政敏さん。モラル会で一度だけ話して頂きました。三室さんがやけに突っ込んだ質問をされていたのを覚えています。後で三室さんに聞いたところ勤務先である銀行協会の北原道貫常務理事から村上さんについて前以て詳しい話を聞いて来たとのことでした。村上さんと私とは三菱総研時代からの付き合いで、40年以上に及びます。自宅が近かったこともあり随分親しくさせて頂きました。娘の就職までお世話になりました。藤原作弥さんをモラル会にお呼びした際にはわざわざ電話を貰い「藤原君は秘蔵っ子だからあまりいじめないで下さいよ」。藤原さんはモラル会の講師を務めることをあえて村上さんに話していたんですね。3回目においで頂いた放課後、銀座のガード下の居酒屋で数人で飲みました。その際、"約一名”が何かのことで藤原さんにしつこく食い下がり「君は僕を殺すつもりか」と言わしめたのです。後で伺ったところ藤原さんは持病を抱えてられたとのことで、大変申し訳なく思ったものです。その翌日夜9時頃でしたか、TVを視ていたらテロップが流れたのです。"日銀副総裁に時事通信特別論説委員藤原作弥氏”。あの時は本当に吃驚しました。その直後、村上さんに聞いたところとある料亭にいた村上さんの所に橋本総理(当時)からTELが入り電話会談、最終的に村上さんがOKを出した直後にテロップということだったとのことでした。暮れの12月に村上さんのお別れの会が帝国ホテルで催され、久しぶりに藤原さんにお目にかかりました。村上さんとは2歳違いとのことで、"秘蔵っ子"って言うのはどうかなと思ったものです。村上さんには東京新聞の五十嵐英明さん(特報部長、論説委員を経て01年67歳で死去)をご紹介頂き、こちらにも様々な面でお世話になりました。享年80歳。 

■昨年2月、横浜の生麦資料館を訪問した際、浅海館長に拙著『功名を欲せず 起業家・五代友厚の生涯』をお渡ししました。 これで私の手元に残ったのは1冊だけとなってしまいました。その後渡辺さんの秘書、坂手さんのご尽力で5冊入手することが出来ました。何人かの方から話があってお貸ししたりお頒けしたりしました。そうした中、高橋さんから五代友厚の曾孫に当たられる故信作氏の夫人、美子さんをご紹介頂いたのです。いろんな話を聞かせて頂き大変勉強になりました。その後高橋さんを介して「NHKの朝ドラで五代友厚(才助)が登場するので視るように」と報せて下さったのです。無論、以後努めて視ています。殆どフィクションですが、よく五代の本質を捉えて描いているなというのが率直な印象です。五代を演じているディーン・フジオカ氏も中々いいですね。その関係で暮れ以降、出版元、及びNHKBSプレミアムの番組担当者から相次ぎ取材を受けているところです。そこへ先日、姉から電話を貰いました。娘(私からみると姪)の旦那の勤務先、清水建設の関連会社の社長が五代家の直系の子孫で注目を浴びているとのこと。縁なのでしょうかね。
 ところで五代友厚と緊密な関係にあった大久保利通が何故旧加賀藩士連に暗殺されたのか以前から疑問に思っていました。最近読んだ本で謎が解けました。明治7年の佐賀の乱で首謀者にまつりあげられた江藤新平が斬罪梟首に処せられたのはご承知の通り。これを背後で指示した大久保利通は「江藤醜態笑止なり」と日記に記しましたが、さらに江藤の晒し首の写真を撮らせた上、江藤の妾に送り付け、加えて彼女が芸者務めをしていた新橋の色町にもばらまかせたというのです。偶々新橋で遊興していた島田一郎ら元加賀藩士の面々がこの写真を見て憤激、彼らの手で大久保は暗殺されたというのです。不平士族の鬱憤がこんな形で晴らされた訳です。

■「国会は選び抜かれた者のみが発言できる場にせにゃならん。国を作るんは、確かな目を持つ者のみが許されることなのじゃ。そのためには、痴れ者がたやすく足を踏み入れられんよう、はじめにしっかり枠組みを作らにゃあ収拾がつかなくなりますけぇ」
 大日本帝国憲法・衆議院議員選挙法が公布される明治22年より以前に多くの憲法案が上申されましたが、そうした最中での会話です。美智子皇后が数年前、五日市憲法草案について語られたことがありましたが、そうした雰囲気が当時からあった訳なんですね。現行憲法が米国による押しつけと論じる向きが少なくありませんが、実際には早い時期から現行憲法に繋がる環境・素地が醸成されていたとみるのが妥当なのではないでしょうか。今夏予定されている参院選は今後の日本の行く末を左右しかねないものといえます。是非熟慮の上での対応を期待します。
 昔から疑問に思っていることがあります。日本国憲法99条の憲法尊重擁護義務があまりに蔑ろにされていることです。違反した人間には私はかつての不敬罪を適用してもいいと思っています。皇室の方々がきちっと発言されているのに対し、内閣はじめ国会議員、政府高官らが99条違反の発言を平然としているのはどうも解せません。こうしたことを容認してしまっている我々の生ぬるさ・甘さが明らかな違反・ファウルを助長してしまっていると思います。

■1月16日午後、荻窪地域区民センターで開催された「キューバ大使(マルコス・ロドリゲス) 大いに語る」に参加して来ました。80人ばかりの参加者に対し、応募者は3倍だったとのこと、ラッキーでした。大使の話の中で印象的だったのは、フィデル・カストロが1970年代に、「米国に黒人の大統領が、そしてラテンアメリカ出身のローマ法王が誕生すれば、米国とキューバの国交が回復する」と予想していたということで、正にその通りになったことです。凄い洞察力ですね。それと私も迂闊だったのですが、キューバ革命が1959年だったのは承知していたのですが、その年のうちに大臣に就任早々のチェ・ゲバラが来日、広島に直行し、原爆記念館を訪問していたことです。さらに彼は多くの工場を視察、しきりに写真を撮っていたとの報を後で知ったことを思い出しました。。「モーターサイクルダイアリーズ」もさることながら、実行力に富んだ彼の姿がゲバラ人気を醸すのに大きく貢献したのでしょうね。私は歌手のグロリア・エステファン(キューバ出身、米国で活躍)について質問しようと構えていたのですが、チャンスがありませんでした。
 医療費・教育費が無料。気候もいい。07年に体験して来ましたから判っています。言葉の問題はあるものの、キューバ移住をとも思うのですが。片やこの機会に米国に亡命するキューバ人が急増しているとのニュースも目にしています。一筋縄では行かないものですね。

■今年は米国大統領選挙の年。共和党ではトランプ氏が思いがけなく高支持率を獲得していますが、一寸怖いですね。民主党ではサンダース上院議員の健闘が注目されます。こんな中、オバマ氏の「3期目」を選ぶか否かという方向に持っていける可能性もあるとの記事を見ました。早稲田大学の中林美恵子准教授が語っているもので、場合によってはこれもアリかなと秘かに期待しています。中林女史は以前テレ朝系のBSでしたか、愛川欣也の「パックインジャーナル」にコメンテーターの1人として出演していた人です。ところで先ごろ「オバマ氏の銃規制政策」に3分の2の人が賛成との世論調査結果が発表されました。現在の米国の病んだ社会情勢の一端を映しているのでしょうが、これまでの変遷を振り返ってみるとこれは凄いことだなと私は思っています。

■気になる動きがあります。江戸城天守閣再建を大学教授連までもが賛同しているようなのです。江戸大火(いわゆる振袖火事)の後、4代将軍家綱の後見人だった保科正之(3代将軍家光の実弟)の献言で止められたのが天守閣再建だったのです。不要不急のことで人民を苦しめるべきではないというのが理由です。彼の思想の結晶とも言える家訓があります。「君主のために家臣と民がいるのではなく、家臣と民のために君主がある」。ご関心の向きは中村彰彦氏(栃木市出身)の著作に目を通して頂ければと思います。
 
■あまりにも殺伐とした世の中になってしまっています。好転させる何か突破口が出来ないものかなと常々考えているのですが。本年も宜しくお引き回しの程を。   (1月18日記す)

 NHKの朝ドラ「あさが来た」ですが、本日(22日)の回で五代友厚は亡くなりました。
 「五代とあさのふたりの時間では、ひとりでに涙が湧き上がってくる感覚がありました。あらためて感じたのは、五代という人物をディーンさんが演じたことの大きな意味。国やお金を動かす立場にありながら、愛すべき人間味にあふれていて、手が届かないような浮世離れした感じもあって。人を笑顔にするような笑顔もすごく魅力的ですよね。」

 1月16日の東京新聞朝刊・スタジオだよりに掲載された波瑠さん(24)の一文です。実際、二人とも熱演でしたね。感動的でした。昨年9月末開始のドラマですが、10月下旬、波瑠さんを西荻窪駅側(そば)で見かけました。3人の仲間と一緒でしたが、彼女だけ少し背が高かったですね。何はともあれ今次、五代友厚が再評価されたことはとても良かったと思います。それにしても拙著が楽天のオークションで1万2500円にまでハネあがっているのは驚きを通り越しています。(1月22日記)

幹事 渡部修
 
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 石井彰氏の追悼文   村田 道子  2016/01/04 (月) 2:46
  渡部修&英宣の両幹事から石井氏の追悼文を書くようにご指示を頂戴しました。
気が重いことですが、常日頃、紹介者としての務めをサボっていたワタクシメの最後の勤めと思い、いくつかのエピソードをご紹介しようと筆を執りました。

< 千秋凛然 >
”千秋凛然” NHKを退職された時に挨拶廻りに用意したというブックカバーに刻印された言葉でした。
陳腐化した4文字熟語と違い新鮮な言葉でした。「どこでみつけた言葉ですか?」の問いに「中国で門に掲げてあった額にあったので頂戴した」と伺いました。

 昭和の最後の年に胃癌の手術をなさって以来、30年近くも癌と戦っていらしたのですね。でも、周囲の人には癌を抱えていることを悟らせること無く”どのような時も凛然”としているのが座右の銘だったのですね。

 わたくしの文章を「署名が無ければ女が書いたとは思えない」とおっしゃいました。なので、少しばかり、女性らしい文章にしようと努力してみたのですが・・・

 < 記者根性 >
 天下のNHKさんと違いシガナイ業界紙。取材先でお会いすることはありませんでしたが、ある時、瀬島さんの講演会で、石井さんの姿を見かけました。瀬島さんが観光政策審議会の議長を務めた絡みで、観光とは関係ない講演会でしたが、チョコット覗いてみた講演会です。終了後、帰りの車に乗ろうとする瀬島さんにスッと近づき、何やら耳元にボソボソ、うなずく瀬島さん。顔を覚えて貰えるまでになるには、それなりの存在感が必要です。

 また、叔父の1人は、昔NHKのアナウンサーだったが、親に貰った名前が気に入らないと名前を変えた変人だ(裁判所で正式に手続き)と、ラジオからテレビへの変遷という話しの流れでチラッと。その後、お会いした時に、OB名簿は旧名で掲載されていたとのこと。後で「ひょとしてアイツ、裏とってイタナ!」と思ったことでした。

 大阪の国際会議の取材の時のこと。珍しく皇太子さんの参列があり、隣に居たディレクターらしき男が、お付きに皇太子についての表現上の言葉遣いを聞いているのを耳にしました。みっともないマスメディアだと思い、どこの社だろうと耳をそばだてていると、氏名と支局名が聞き取れました。社名は解からず。それでお会いした折に「どうもNHKさんのようだ」。石井さんは、支局名と氏名を確認なさり、次にお会いした時に「うちの人間じゃなかった」と。支局名と名前で局内で聞いて回ったとのこと。

<右の写真説明>
特集2 報道現地ルポ「ニュースセンター24時」とあります。
4月から従来のセットを組んだニューススタジオではなく、整理部をはじめ、政治部、経済部、外信部等々の集まるニュースセンターのなかにテレビカメラを持ち込んで、・・と、大きくニュース報道の画面が変わったと特集しています。

正確には記憶していないのですが、整理部デスクだったか?現場でニュースのトップに何を持ってくるかとか諸々指示する役目だったと・・


下の記事が掲載された
グラフNHKの表紙
右頁の立っている男性が石井氏
右横に座っているのが森本アナ
< 病との付き合い >
 わたくしの快気祝いに故灰原さんと石井さんお二人をホテルのディナーにお招きしました。(誰にも言わずに入院のつもりだったのですが、どういうものかお二人には白状させられました)
きっと食べ残されるだろうと思っていましたが、なんと完食。時間さえあれば、普通の量を食べられる、と。

 食事をご一緒する時「食後30分は苦しいので、おしゃべり出来ない、不愉快な顔をしているが、気にしないでください」で、その間は、反撃されない好機とわたくしは一方的に勝手な論を展開していました。

 長いお付き合いでしたが、病への愚痴は、たった1度だけ。
「食べなくて生きていられるならば、どんなにか楽だろうと思う」。

 ある時は
「いや~、人間、死ななきゃいけないんですよ、そうでなければ地球上に人間が溢れてしまうでしょ」

 書き進めるなか、モラル会関連の箱を開けてみました。
失礼ながら頂いたことも忘れていた手紙がありました〔端正な字をかかれるのですね)。 
術後1ヶ月、退院1週間を経過し・・とあります。
 文中、諸先輩から頂戴した言葉として
「負けちゃダメだぞ!」
「きみの将来は闘争心の有無と運に掛かっている」。
まさに実践なさいましたね。

 平均寿命に数年届かなかったとはいえ、次々と押しかける癌に強い意志で挑み、
努力が運を呼びよせ、健康な人間にも優る仕事をなさったのですから、残念なことですが、
おっしゃるように「自然の摂理」と思うことに致しましょう。                合掌
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 石井 彰氏 ご逝去

E-mailが不達となった為、調査した処、11月13日(金)にご逝去されておられました。
知らずに、大変失礼しました。ご葬儀は11/17だった様です。
 
石井氏は、元NHK勤務 モラル会会員 (財)和光市文化振興公社理事長を長らく努められ昨年退職されたと伺っていました。 

2014年11月17日に 「自治体のハコモノ行政の破綻」 と言う演題でお話しをして下さいました。 ここに、病気療養等のお話しが載っています。

謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。(英)

 
石井 彰さん訃報に接して    幹事 渡部 修

今、℡にて奥様とお話してショックを受けているところです。 

英宣氏から「石井さんにメールが届かない」との連絡を受け、お宅に電話を入れたところ
「主人は11月13日すい臓がんで亡くなりました」
との奥様の弁。愕然としてしまいました。その後若干やりとりをしましたが、未だ呆然とされておられるご様子。今月22日(火)のことです。

 その旨を英宣氏、そして石井さんをモラル会に誘った村田道子さんに電話で伝えました。
英宣氏から何か文をということで、古い記録を調べてみました。
1971年春に入会されています。当時NHK経済部に所属され、テレビでニュース解説なんかもされているのを何度も視ました。石井さんが傍ら在籍された記者クラブ(経団連)が私の勤務先、三菱総研の近くだっだこともあり、街中でショッチュウ行き会い、よく飲食などをご一緒したものです。

会長の安原米四郎先生が1990年11月に他界され翌春冊子『安原米四郎先生の思い出』が纏められました。その中で石井さんは「絶えない温厚な表情、伸びた背筋の端正な姿勢、終始正眼の律儀な眼差しから、モラル会の歴史と実績が読み取れました。」との一文を寄せています。

 最近では2014年11月に「自治体のハコモノ行政の破綻」と題してご講話頂きました。その際、前年の井の頭公園(鳥良での新年会)以来と話していました。それ以前を振り返ってみてもいろんなことがありました。広島行、田町の料亭「牡丹」での隠し芸(一節太郎の「浪曲子守歌」)披露等々。

圧巻はNHK放送エンターを案内して頂いたことです。途次加賀美幸子アナウンサー,金井克子のダンス・リハーサル風景、新平家物語の収録の様子などを垣間見たものです。調べてみたら1972年のことでした。

 とまれ石井さんの想い出は尽きません。モラル会副会長として会の運営面でも随分助けて頂きました。唯々感謝のみです。釈然としない気持で一杯なのですが、ここに謹んでご冥福を祈る次第です。

(修

 
 7月例会 : 7月25日(土) 14~16時  松山氏宅にて、「水資源問題」 洪水等に付いて
         オーストラリア北部準州 水資源局 ショーン・ローリー氏
 6月例会 : 6月25日(木) 14~16時  ボリビア・日本関係を巡って
 4月例会  4月18日(土) 11時(集合)  杉並区の公園めぐり
 2月例会 :  2月23日(月) 13時~  生麦探訪  「生麦事件参考館」
 モラル会新年会: 15年 1月9日(金)15~18時 会場: 駒忠・小伝馬町店
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                       2015年年頭に当たって

・ 昨秋、㈱フードシステム社長、古田 基氏の最終講演会に参加しました。相変わらずの饒舌、古田節で、どうして最終?と思ってしまいました。まだ80歳です。3回ほど米国企業をご案内頂き、随分勉強させて頂いたものです。勝手に私のビジネス面での師匠と仰いで来ました。是非体調を復し、カムバックして頂ければと念じています。

 山岡 昭男氏の年賀状に、昨夏、東京ジューキ食品の全事業をAPカンパニーに譲渡した旨、添え書きされていました。「ボンベイ」、「新撰組」、「千人同心」などの店々には何度となくお世話になりましたし、最近も中目黒の「炉辺」は何回か利用させて貰っていました。結構繁盛している店で、ある高名なファッションモデルも行きつけとか。惜しいなというのが率直な感想です。

 私の地元・西荻の無添加パンの店「リスドォル・ミツ」が昨年末で閉店したとの記事が1月14日付東京新聞に掲載されていました。経営者の広瀬 満雄氏は高校の7期後輩です。福島原発事故で商品の安全性が確保出来ないというのが理由とのことですが、まだ引退する歳ではありません。何とか再起して貰いたいと思います。
 以上のお三方にはモラル会で何回かずつご講話頂き、何かと啓発されたものです。転機なのかなと思わざるを得ません。

 加えて体調が芳しくない旨の便りも。小牧市在住の幼馴染は実は6年来前立腺がんで闘病生活を強いられているとのこと。モラル会メンバーにも何らかの病で苦闘されておられる方がおられます。皆さんの体調回復を祈念しております。

・ 1月9日のモラル会新年会には14人が参加、なかなかの賑わいとなりました。暮れの小浪さんのご提案に沿って開催しましたが、予想以上にいい会場で、何よりも素晴らしいお人柄の店主。小浪さんの慧眼ぶりに流石だなと感じ入ったものです。今後も是非利用させて頂きたいと思っているのですが、大丈夫でしょうか?出入り禁止も覚悟しているのですが。

1月16日に川口 顕氏から「明日の小伝馬町での新年会、参加したいんですけど」との電話。
素気無く「先週やりましたよ」と返答したところ、暮れの千葉でのとある忘年会で小生からそう聞かされたとのこと。「あの時、渡部さん出来上がっていたから」と指摘され狼狽え気味に。

・ 年末年始はインフルエンザとやらに家族全員罹ってしまい、新年早々難渋しました。それでも家内の実家への挨拶、義妹の墓参、そして初詣には無理を押して参りました。
杉並区・今川町の観泉寺に初めて行きました。今川家の菩提寺とかでそこにも行こうとしたのですが、時間が過ぎているとのことで叶いませんでした。静かな佇まいの寺で、改めて行ってみたいと思っています。もう1か所近所の天祖神社に詣でましたが、神社の人がおらず、恒例のおみくじは引くことが出来ませんでした。

 そういえば昨年11月下旬、私の目下のお気に入りTV番組「酒場放浪記」で武蔵関駅北側にいい店があると紹介されたので、家内と出かけました。バスで上石神井駅まで行き、徒歩で目的地に向かったのですが、途中、カトリック関係の建物の脇を通りかかったところザビエル祭の文字が飛び込んできました。研修施設のような所で、入って聞いてみたら「行事はもう終わりました」とのこと。後の祭りだった訳です。

 その後、向かいのイグナチオ教会関係の敷地に入り、庭掃除をしている人に「一寸見学させて頂いて宜しいですか」と声を掛けたところ「どうぞ、どうぞ」といった塩梅。お言葉に甘えて案内されるがままに。結構いろんな施設、場所に。高齢者の介護施設の様な処にも。高名な人も多く入居されておられました。
 ヨセフ・ピタウ氏には窓越しに挨拶させて貰いましたが、暮れに亡くなられたことが新年草々の新聞で報じられていました。三菱総研時代、上司の金井 久夫部長から話を聞かされていたので、感慨深いものがありました。

 庭掃除を中断し、邸内を案内して下さったのは実はイグナチオの元主任司祭、松本 紘一氏。岩島 忠彦神父とは高校生当時からの同期生で、お二人とも現在この敷地内に居住されておられるとのこと。四方山話をしているうちに時間が。名残惜し気の松本さんに別れを告げ帰宅。当初の目的地行きは他日に。

・ 最近の読書で人間の評価を疎かにしてはいけないことを改めて痛感させられています。2人ご紹介します。
 1人は赤穂義士に出てくる大野 九郎兵衛。あのずる賢そうな財政担当の家老です。実は大石内蔵助と相談の上、討ち入りが失敗した時には大野が第二次討ち入りを決行する手筈になっていたというのです。四十七士が本懐を遂げたとの報を板谷峠で受けた大野は「これで思い残すことはない」と屠服したという話です。事実、彼の墓という阿弥陀塔が残されているそうです。
 これとは別に池波正太郎の小説に恩田木工のほぼ同時代に真田松代藩の財政家として活躍したのが大野 九郎兵衛だったという説が紹介されています。無論変名で、藩主自らがスカウトしてきた人物だというのです。

 もう一人は新撰組の芹沢 鴨。あの女にだらしない飲んだくれの局長です。彼は実は水戸藩出身の勤王の志士だったという説があるのです。水戸藩出身は間違いない。新撰組内の薩摩出身の伊東 甲子太郎グループと連携していたというのです。そうであれば清川 八郎と繋がっていたのも頷けますし、もしそうならこれまでの定説は大幅に塗り替えられなければならないことになります。あながち荒唐無稽な話とも言い切れないと思うのです。

 要するに人物評価は軽軽にすべきでないというのが、私の持論です。もしするなら相当入念に研究してからされてはと申し上げたい。安倍 晋三氏についても然りです。

・ 昨年10月22日、現代女性文化研究所での「朝日新聞叩きと安倍政権」シンポジウムに参加させて頂きました。オフレコなので詳細は話せませんが、終了後の宴席でのスピーチで「現下の鬱陶しい状況を現出した元凶は菅 直人。あの参議院選の冒頭、”消費税”を口走ったのが端緒だ」と話したところ鎌田 慧氏に反論されてしまいました。彼はもっと以前に遡るのではとの論でしたが、飲んだ席上だったので議論を深めることが出来ませんでした。残念。

・ ある本の中で「薬瞑眩(めんげん)せずんば、その疾(やまい)癒えず」という件に出会いました。 眩暈がするほどの強い薬を用いねば、難病は治らないーすなわち、非常な覚悟をもって事に当たらねば物事は成し遂げられないという意味合いです。「書経」の一説ですが、八方塞がりの現状を打破するには余程の方策が求められているのではと感じている昨今です。


 ともかく皆さんと共に本年も強かに世の荒波を乗り越えて参りたいと存じます。
                                   小正月を終えて
                                      モラル会幹事 渡部 修
 
 新年明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願い申し上げます。
 * 2015年 を新設致しました。
 
 2015年新年会 15年 1月9日(金)15~18時 会場:駒忠・小伝馬町店
  日比谷線小伝馬町駅より110m、  小伝馬町13-13 
 
 11月17日(月) 並木さん、急遽欠席
 市田柿については並木さんに直接注文を、とのこと。・・・各位、宜しく!  幹事

 11月例会 11月17日(月) 「自治体のハコモノ行政の破綻」 by 石井 彰氏(会員)
 
 現代女性文化研究所から急告

10月22日(水) 「朝日新聞叩きと安倍政権」 by 鎌田 慧氏 (ルポライター)
18~19時半  現代女性文化研究所(巣鴨)

要予約ですが、興味のある方の参加をお願いします。
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 10月例会10月20日(月)「激変する流通業界」 by 山口 広太氏(TRK代表、会員)
 
 9月例会 9月16日(火) 「"終活"の処方箋 by 並木 和夫氏(会員)は好評でした。  纏めが掲載されています。
 
 8月例会  8月18日(月) 「㈱アテナのセレモニーサービス構想について」
               渡辺 順彦氏 株式会社アテナ 取締役会長
               坂手 勝子氏 株式会社アテナ 会長秘書

  注: 「ブラジル帰国報告」はこの中にふくみました。
 
 7月例会 7月22日(火) NHK経営委員2期6年を振り返って」(仮題)小林 緑氏
       現国立音楽大学名誉教授
 
 6月例会 6月16日(月)「シナリオの話」(仮題) 脚本家 池田 太郎氏
       6月7日(土)13時半~16時40分 
      第13回望月百合子忌シンポジウム「ジャーナリズムの功罪
       NPO現代女性文化研究所 岡田 孝子氏

      パネリスト:鎌田 慧氏(ルポライター)、江川 紹子氏(ジャーナリスト)、
             青木 理氏(ジャーナリスト)  参加費:1000円
 
 5月例会 5月19日(月)「 消費税増税と日本経済」
       ㈱東京商工リサーチ 取締役情報本部長 友田 信男氏
 
 4月例会 4月21日(月)「原発の話」 パロディ作家  マッド・アマノ氏
 
 3月例会  3月17日(月)「出版の話ー『濱口雄幸伝』発刊を巡って」
  (㈱)朔北社 代表取締役  宮本 功氏
 
 2月例会 2月17日(月) 「2007年から2012年までのイタリアの会社とのビジネス体験を振り返って」 長嶺 秀 BERGEHN 代表 (Shigeru NAGAMINE)
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               2014年 年頭に当たって
                                       モラル会 幹事 渡部 修

 暮れに武石 喜志子さんから佐藤 暁子さんが介護施設に入られた旨電話連絡を貰いました。詳細はよく判らないとのことで、そのうちに連絡が入るだろうと待っていたのですが、待てど暮らせど報せが入りません。里田さんから問い合わせを受けても答えられません。必死になって長男の正君の名刺を探し出し、勤務先に問い合わせのメールをしてみました。2日後に詳しい返事のメールを受け取りました。

現在、新座市の有料老人ホーム「イリーゼ新座」に入居、特別養護老人ホームが空き次第、そちらに転居する予定とのことでした。佐藤 暁子さんはモラル会の創始者、安原 米四郎先生のご長女で、先生のご意志に添おうと必死になって会に参加されておられたのです。ご自宅が近所なので家内ともどもよく行き合っていたのですが、寂しくなりました。ご本人は復帰を目指されておられますので、少し様子をとも思っています。

 
 昨年のモラル会の例会で印象的だったのは、マーガリンがプラスチックと同じ分子式と指摘された舟橋 慶一氏のご講話でした。最早手遅れでしょうが、以来マーガリンは買っていません。

 斑目 雄氏の「中国の話」は時宜に適っていたと思います。氏は三菱総研時代の先輩。氏作成のレジュメとコメント、講話の中で紹介してくれた本『これからの中国について話そう』は中国の現状を分かりやすく説明してくれているので非常に参考になります。

 奥澤氏と出かけた江南巡り(2008年春)・アモイ・ツアー(2012年秋)、同じく中国・古都巡り(2013年夏)などでの体験、丹羽 宇一郎さんの中国大使辞任後書かれた本もさることながら、斑目氏の熱意には頭が下がります。それにしても新疆・ウイグル地区、チベットについては特段の研究が必要なようですね。

 三国志の舞台となった洛陽、西安、大同は予てから是非行ってみたい所だったので、漸く宿願を果たした想いです。私は曹操が好きなのでまだまだ行ってみたい所はあるのですが、PM2.5とやらが怖いので当面控えるものの、いずれチャレンジしたいと思っています。残念だったのは西安の孚寧門で衛兵達(本物ではありません)による演舞を観賞している時に笹原氏から電話で同級生の死が伝えられたことです。小学校4~6年時のクラスメイトでカラオケの時、私に舟木一夫の「初恋」をリクエストしてくれた女性です。「ワタベ君の“初恋”大好き」と言ってくれる人がいなくなってしまったのはとても寂しいです。

 12月の例会は渡部英・奥澤氏による「ウイーン+スペイン報告」でしたが、機器の不具合や写真整理の準備・時間不足やらで始まりが遅くなり、全体の半分まで行ったかどうか?疲れて途中で帰宅される人も。それでも10時を過ぎるところまで達し、モラル会史上最長を記録してしまいました。久々に顔を見せた杉本氏は半ば以上爆睡されていたのでは。この後どうなることやら。


 私の長女は四谷のイグナチオ教会に出入りし、湯浅 誠さんと2人でホームレスの人達にお握りを配って歩いていました。日比谷公園とか渋谷の宮下公園とか。10年以上も前のことです。その関係で湯浅さんにモラル会で講演して貰うことができたのですが、偶々アルゼンチンから来られていたホルへ神父が2度ほどお握り配りを手伝ってくれたそうです。娘を可愛がってくれたとのことですが、そのホルへ神父が昨年の春、なんとローマ法王フランシスコになられたのです。お握り配りの時もすでに大司教になられていたそうですが、“大司教”とは呼ばせなかったそうです。この春来日が期待されていますが、それにしても吃驚しました。その法王が暮れに文書で、富める者のためになることは、いずれ貧しい者の役に立つという「トリクルダウン理論」について触れ、「こうした考えは立証されておらず、経済的に大きな力を持つ者の善に対するあまりに単純な期待だ」とし、「不公平が社会悪の根源だ」と指摘しました。むべなるかなです。

 新年早々、例によって奥澤氏共々、名古屋の心友宅に滞在させて貰いました。2日夜到着、深夜2時過ぎまで飲み・食べ・談論。3日は清州城跡、岐阜城界隈を散策。がっかりしたのは趣味の悪い清州城。映画「清州会議」で使用された衣装や小道具などが所狭しと展示されていました。こんなもの、私なんかは期待しておらず、少しでも当時の清州ならではのモノ、信長ゆかりのものを…というのはやはりないものねだりなのでしょう。併せて七所神社、笠寺観音、大須観音に初詣。翌4日には遂に念願の”新美南吉”巡りをして来ました。

 「ひとりぼっちの小狐ごん。村人の兵十にしたいたずらを悔やみ、おわびにクリやマツタケを届ける。しかし、ごんは兵十に火縄銃で撃たれてしまう」。『ごん狐』の話です。小学生の時、NHK第二放送で聞いた記憶があります。南吉弱冠18歳の時の作品だそうです。後に南吉は、安城高等女学校の教え子に「世の中には尽くしても尽くしても理解して貰えないことがあるんだよ」と語ったといいます。南吉の生家をスタートに、常夜灯、岩滑(やなべ)八幡社、常福院、光蓮寺、そして臨時開館した記念館を巡ってきました。

八幡社でひいたおみくじは大吉でした。記念館近くには例のコメダコーヒーがあり、ビーフシチューを味わいました。記念館の一角には「ででむし(かたつむり)」の像とキツネの滑り台がありました。どうしてこのような透き通ったような精妙な作品が生まれたのか疑問に思ってきたのですが、現地を訪れ、一端が垣間見えたような気がします。また南吉は当時皇居脇にあった東京外国語学校(東京外語大の前身)に通い、卒業後東京商業会議所(現在の東京商工会議所)内にあった土産物協会に勤めています。

 美智子皇后が、1998年、インドでの国際会議の講演で南吉の「でんでんむしのかなしみ」を紹介、一躍注目を集めたといいます。昨年は南吉生誕百年、記念館がリニューアルされ、両陛下もこの地を訪れています。皇后は南吉の作品を殊の外気に召され、東日本大震災の被災地各地に南吉の本を贈呈されておられるとのことです。

 ついでに言うと、皇后は昨年10月、79歳の誕生日を迎えるに当たってインタビューに応じ、「五日市憲法草案」について語られました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、「地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本の各地の少なくとも40か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。…市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」。天皇陛下も昨年のインド訪問の際、非暴力の平和について語られました。両陛下の想いは首相には届いてないようですが。


 私の大学時代の恩師、今井清一先生(横浜市大名誉教授)が『濱口雄幸伝』(朔北社)を上梓されました。50年も前、師の丸山真男教授(東大、当時)の求めで書き上げたものですが、何やかやで出版に至らず、お蔵入りになっていたもの。数年前、先生の手元に原稿の控えがあることが判明、若干手直しした上で今回刊行に漕ぎ着けたものです。ご関心の向きは地元の図書館に入れて貰って是非読んでみて下さい。

 最近読んだ本の中で、こんな言葉に出会いました。
          
 「歳月名利を亡滅させ、人間元来無一物」

 今年はこれを地で行くことをモットーにして参りたいと思います。宜しくお引き回しの程を。
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* 2014年モラル会新年会  1月18日(土)正午~15時 
     新宿・旬鮮酒宴 魚盛(うおもり)新宿3丁目店 です。
 
* 12月定例会は 12月16日(月) 「オーストリア・ウィーン/スペイン報告」
    奥沢作郎、渡部英宣氏の報告です。
    東京商工会議所にて 18:00~

* 11月定例会は 11月11日(月) 「アート普及と若手作家支援」について
    アートソムリエ 山本 冬彦氏が 講演して下さいます。
    東京商工会議所にて 18:00~
* 現代女性文化研究所 (NPO)主催 の3つの講演会を掲載しました。
   要旨はこちら

    「青鞜の冒険」を語る  講師 森まゆみ さん(作家)    11月30日
    「市民運動を語る」    講師 吉川勇一 さん(市民運動家)12月21日
    「女人芸術研究会」   講師 尾形明子(同研究所理事)  毎月第3土曜

* 10月定例会は 10月21日(月) 「中国古都巡りの旅」 
   奥澤作郎・渡部 修両氏が最近の中国観光旅行の実態をお話しされます。

* 9月定例会は 9月24日 「中国の現状と課題」 と題して、
   班目 雄氏が中国の抱える問題に付いて、講演をして下さいました。
   纏めは こちら
暑気払いが開催され、13名が参集。旨い魚を堪能し、且つ語り合いました。
*平成25年度“自然との共生塾 ご案内 舟橋慶一 9月29日

『春風伝』を読んで  渡部 修  2013/07/21 (日)  
暑中見舞い。 河口 良伍  2013/07/16 (火) 
・望月百合子忌シンポジウムを開催 6月8日 午後1時半から
  「3.11以後、日本はなにが変わったのか」
   
漆器展 & ブータンの漆器 石洞美術館  渡部 修 2013/06/03 (月) 
   
株式の新規公開  平成25年1月20  久保喬士
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                2013年 年頭に当たって
                                   モラル会 幹事 渡部 修

・又しても仲間を1人喪ってしまいました。角 裕行氏です。
杉本 幹男氏の紹介でモラル会に入会されました。20年以上前のことです。一昨年6月、氏の勤務先近くを通りかかったので会社の受付に訪いを入れたところ、折りよく在席されており、30、40分歓談することが出来ましたが、結局これが氏との実質的な別れとなってしまいました。
いろんな思い出がありますが、一度太田 正彦氏と一緒に六本木のオフィスに招かれたことがありました。一佐の時でヘリ関係の課長の任にありました。その際、何とフルコースのもてなしを受けたのです。惜しむらくはウェーター役を努めてくれたのが三佐とか一尉とかのむくつけき男子だったことです。女性の将校だっていたでしょうに。
その後、俳優座近くのバーで改めて飲んだのですが、私以外の2人はもういません。角さんは唄も上手かった。私は彼の「ブランデーグラス」が好きで、よく唄うよう強要したものです。また「唄え」と言いたくなります。告別式には自衛隊及び川崎重工関係者が数多く参列、しめやかに執り行われました。立派な子供さん達(二男一女)がおられるのを見届け、少し安堵しました。


・新年早々、編集者仲間の竹石 健氏から、夫人で画家の今村 圭さんが亡くなられたとの連絡を貰いました。
作品鑑賞のため三室 孝之氏とはよく新宿や銀座などの画廊を訪れたものです。モラル会でも一度お世話になりました。メンバーで杉並区井草のご自宅を訪問、作品を鑑賞させて頂いたのです。「舞台裏はお見せしたくない」というのを圧して。
今、「回顧展」を企画中とのことで、決まり次第案内が届く筈です。それにしてもやるせなくなります。


・勤務先のカレッジの学生によるファッションショーに三菱総研時代の仲間、斑目 雄・久保 喬士両氏が来られました。
終了後、居酒屋で飲んだ際、モラル会の話をしたところ久保氏が興味を持ち、3月以降参加されるようになりました。かなり皆勤に近い状態で、嬉しく思っています。氏は東京証券に移籍、上場にまつわる業務に携わっていたとのことで、今でも関わりがあるようです。忘年会にはお二人も参加、お二人にはモラル会で話をして貰いたいと思っています。


・昨夏、奥澤 作郎氏とアモイに行ってきました。
早くから海外との交流が盛んだった土地柄からか中国では先進地域と看做されているようです。上古文化芸術館の数々の展示物には圧倒されてしまいました。
アモイは石材加工では世界トップクラスの地ということで、そのための技術習得にアモイ大学が設立されており、日本からの留学生も少なからずいるとのことでした。
鄭成功ゆかりのコロンス島には欧米諸国や日本の富裕層の別荘跡が多く残されていました。今はホテル、レストラン、保養所、介護施設、レストランなどとして。内陸部華安の土楼と呼ばれる館というか小城も興味深いものでした。客家と呼ばれる有力者らがここに誕生したといいます。アモイ市街も興味深く、結構楽しめました。同じ時期、中国、台湾、香港のメンバーらがここアモイに集い、反日運動の謀議を練っていたことを帰国後知りました。


・9月には対馬・壱岐に出かけました。モラル会に何度も参加した大学同期の斉藤 政明氏の招請に応えたものです。同期2人と奥澤氏が参加、台風16号が接近する中予定を強行、対馬に到着したところ、韓国からの船、航空機は全便欠航でした。型通りの観光は兎も角、夜は斉藤氏の独壇場でした。敬遠してきたフィリピンパブも初めて体験しました。国際交流なんて簡単に口にするものの、こんな際の対処も巧く出来なくてはと痛感したものです。斉藤氏の気遣い、そして優しさを実感させられました。
翌日午後、フェリーで壱岐に渡り、斉藤氏の本拠なので須らく彼にオンブで、素晴らしい旅の醍醐味を味わわせて貰いました。近所にある温泉に案内されたのですが、併設の飲み処を体験できなかったのは心残りとなりました。営業時間外だったのです。


・年末珍しく3日間寝込んでしまいすっかり調子が狂ってしまいました。
2つの忘年会、そして恒例のイグナチオ・Xマスミサも欠席してしまいました。体調がなかなか戻らず、年末年始密かに考えていた「伊賀上野」「半田・新美南吉記念館」行きは先延ばしすることにしました。
そんな訳で年始は通常通り家内の実家を訪問、併せて義妹の墓参、下谷七福神巡りを敢行しました。気になっていた家内の出身校、竹の台高校も見て来ました。片岡鶴太郎が同窓とのこと。
ここで家内は国語を渡部 英宣氏の父上、金蔵氏に習ったとのこと。奇縁というしかありません。
途中ひいたおみくじは「吉」でした。ほどほどということなのでしょう。
5日には尊敬する岩嶋 忠彦神父(上智大学教授)を囲む新年会に3年ぶりに参加、30人ほどの集まりでしたが、半数以上が新参の人達で一寸面食らってしまいました。時間の経過が環境を確実に変えていくことをまざまざと見せ付けられた感じです。


・昨年、残念に思ったのは横田めぐみさんのことです。料理人の藤本氏が金正恩氏に面会した際、めぐみさんを日本に戻して欲しい旨依頼したところ、金氏はかすかに頷き、日にちを指定した上、又会おうと約束してくれたのです。
ところが外務省などいくつかのグループがこれを妨害、結局藤本氏は3、4日遅れて平壌に到着したのですが、金正恩氏に会うことは叶いませんでした。千載一遇のチャンスを逸してしまったのです。とりわけ最近の外務省、オカシすぎますよ。


・ある本を読んでいたら、「いっぺん放下着(ほうげじゃく)の無一物の境地になって」という言葉に行き逢いました。
茶の湯は、禅の境地を大切にします。「放下着」は、物や執着を捨てて無一物になるばかりでなく、無一物へのこだわりまで捨て去るという高い境地の禅語だそうです。
今年はこのスタンスで臨んで参りたいと存じます。どうか宜しく。
   
・ 2月、3月例会の内容が決まりました。 2013年欄をご覧ください。

・ 「藤本ひとみ著『維新銃姫伝ー会津の桜、京都の紅葉』を読んで。」
   2013/01/09 (水) 23:36 渡部 修 が投稿されました。
   投稿欄をご覧下さい
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・ 2013年の活動欄、お便り欄を新設しました。

・ 小波さんより賀状が届いています。 お便り欄13年をご覧ください。

・ 1月例会と2月、3月の日程が決まりました。
  1月28日(月)18時~於東商ビルB2厚生室 
 跡見学園女子大学教授 福田 優二氏(元電通総研)「日本復活の戦略」。

 出席出来る方、何時もの様にご連絡下さい。

・訃報  角 裕行会員死去
 ・10月13日(土)午後0時8分大動脈解離で木更津市内の病院にて死去。享年62.
 ・愛染院会館第一斎場:練馬区春日町4-17-1、
  TEL.03-5241-1567、FAX.03-5241-1833、
  大江戸線 練馬春日町駅より徒歩3分。神式にて執り行われます。
 ・お通夜:10月17日(水)18~19時
 ・告別式:10月18日(木)10~~1時
注: 川崎重工顧問、元自衛隊・第九師団長

    2007年10月定例会講師:第9師団報告
    2002年3月木更津駐屯地司令、
    第一ヘリコプター団長時、モラル会訪問

 ・お通夜へ行かれた杉本氏からのお便り・・・・お便り欄12

 ・お通夜に弔問された石井氏からのお便り・・・お便り欄12

 ・高橋謙夫氏からのお便り
『トマス・グラバーの生涯ー大英帝国の周縁にて』を読んで 2012/10/08 (月) 渡部 修
・10月例会: 「日中関係の今後を考える」中村(戴) 峰氏
        
・日時:10月22日(月)18時~
 ・会場:東京商工会議所ビル

・9月例会:「お金の話ー歴史、蓄財、思想」 並木和夫氏
        コンサルハウス択善舎、〔社〕全国信用金庫協会、全国しんきん相談所
        9月24日(月)18時~東京商工会議所
     予定通り実施され、河口氏による纏めが掲載されている。

  幕末・明治期の志士達: (写真) 
     講座とは無関係だが、当時の志士達 46人の集合写真を掲載した。ご覧ください。
タルチュフに挑戦中です。見に来て頂けますか? 溝口貴子

ブータン紹介のTV番組 のDVDあり。 ご覧になりたい方、管理人迄
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・8月例会:「グローバリゼーションと日本語学校」(仮題)
      ㈱専門図書出版 営業部長 浅野 篤彦氏
 
        8月27日(月)18時~東京商工会議所

・ 「米国での、韓国人による慰安婦碑設置排除への署名依頼」  渡部英宣
  問題点の背景から、問題の詳細、ホワイトハウスへの嘆願の方法を解説しました。
  説明をお読みの上、署名にご協力頂きたく、お願い申し上げます。(2012/07/04)

・ これで良いのか「大飯原発再稼働」     渡部英宣 
  菅前総理元政策秘書、松田光世氏の緊急会見に寄せてを投稿欄に掲載しました。

・並木氏より写真提供 (上2枚 + お便り欄

・7月例会:「ブータン王国の今と昔」仮題 西岡 里子氏  7月6日(金) 

・6月例会: 「政府通貨と所得保証による経済の再生を」  6月8日(金)
        元共同通信社記者 関廣野氏(評論家)

・5月例会: 3.5インチフロッピーディスクの開発と標準化について」 5月21日(月)
        横浜薬科大学教授 中山正之氏 (元ソニー勤務)実施済 報告書あり。

・4月例会:「現下のミャンマー情勢」 荒木義宏氏 ジェトロ海外調査部主査
        元ヤンゴン事務所長 4月23日(月)実施済 報告書、資料あり。


 出版記念イベント開催
のお報せ (参加報告あり。)
  NPO法人もやい(湯浅 誠事務局次長)
   『貧困待ったなし!どっちらかりの10年間』(岩波書店)

  ・日時:3月31日)14~19時
  ・会場:四谷・イグナチオ教会ヨセフホール
  ・シンポジウム 14:45~17:30
  ・入場無料 「カンパ差し入れ大歓迎」

・ お便り 1.北島敦子さんより     2012-02-15
       2.すぐろ奈緒さんから   2012-02-15
       3.河口 良伍さんから   2012-02-15
       4.佐藤まゆみさんから   2012-03-1
・3月例会:「大震災被災地事情:南相馬市のケース」佐藤まゆみ氏(南相馬市出身)
        アナウンサー 纏め掲載済。
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2012年年頭に当たって

 ●三菱総研時代の後輩、N氏からの年賀状にこんな件がありました。
「渡部さんがデスク脇に五木寛之の言葉を張っていたのを思い出します。後でS部長に破られましたが」。
確かにそんなこともあったなあ、と懐かしく想い出しました。部下にやたら厳しい諸先輩に対する当て付けの積もりだったのです。ただS部長云々は知りませんでした。
S氏は私に対しいつも丁重でしたし、彼を標的にしたものではなかったからです。でも勘違いされたのかも知れません。N氏は当時、野菜作りをしていて、よく作物を届けてくれたものです。そんなこともふと想い起こしました。

●「寅さん」で博を演じた前田 吟氏のインタビュー記事を読んでいたら、氏の初の主演作品「ドレイ工場」(山本薩夫総監督)のことが紹介されていました。1968年のことだそうですが、私はこの映画を封切り直後に見ています。経緯はこうです。
当時、私は東商調査部に勤務していました。そこに安原 米四郎先生から電話を頂いたのです。すぐ来るようにと。早速、三内 章弘課長の了解を得て銀行協会に駆けつけました。そうしたところ、先生に映画館に連れていかれたのですが、そこで見たのがこの映画だったのです。私にはかなり刺激的な映画で、その後の価値観を形成する上で大きく影響するほどだったのですが、先生は一言、「詰まらなかったな」。

同様のパターンで坂本繁二郎の絵画展に連れていかれたこともありました。
いずれも勤務時間中のことです。先生は一体どういうお考えだったのでしょうか。
未だ謎です。

併せて橋口 収名誉会長のことも。氏は広島銀行に行かれる前、2年ほど銀行協会の名誉顧問(全銀協専門会長含み)を務めておrられました。その頃、よく銀行協会で三室さん、安原 宏さん、佐藤まさきさんらと昼食を共にすることが多かったのですが、帰りがけよく特別顧問室に顔を出しました。
表敬訪問の積もりで。折り良く居られたことが何回かありました。
初め、秘書の女性がお茶を持って来てくれました。普通ですよね。
ところが、橋口さんはこう言われたのです。
「折角、渡部さんがお見えになったんだからお茶は失礼だろう」。
秘書嬢も慣れたもので即座にビールを持って来てくれたのです。実は昼食時、一寸飲んでいたのですが、橋口さんにはお見通しだったんですね。

昨秋、図書館で橋口さんの自伝風作品『小説銀行頭取』を発見,すぐさま読みました。モラル会らしきことには触れられていませんでしたが。それにしてもまた一緒に飲りたかったなあ。

●昨年も辛いことがありました。4年前の信州行でお世話になった吉田 良一さんが癌で他界されました。葬儀に参列された高橋 謙夫さんの話によると、大学時代の山岳部の仲間が多く集い、心温まるセレモニーだった由。吉田さんのお人柄が偲ばれます。
昨年初に電話で話した際には入退院を繰り返された割に結構お元気そうだったので、快復されたのかなと期待したのですが。
吉田さんはサントリーフードビジネススクールの校長を長く務められ、フードサービス業経営者から成る「12人会」(天木 賢一氏、山口 広太氏ら)を通じてお付き合いさせて頂きました。
退職後、氏は念願の青木村での生活を実現されました。
テレ朝の土曜日夕刻6時から放映されている「人生の楽園」に登場するので見て欲しいとの連絡が入ったので、即、比較的近所に住まわれている高橋さんに連絡を取り、視て貰いました。これを機に吉田、高橋両家の交誼が始まり、ひいてはあの信州ツアーが実現したのです。そういえば吉田さんにはNHKの番組で浜 美枝女史と対談するという一幕もありました。

●我が身にも激変が訪れました。一昨年暮以来、大学時代の親友、M氏の就活を手伝うべく、頻繁に打ち合わせをしていました。勤務先が解散することになり、ついてはその後の‥‥という訳で、丹 正昭さんなんかにも協力を仰いだりしていました。そんな最中の昨春、「学園の常務理事に何方か推薦してくれないか」との手紙がT理事から寄せられたのです。即座に、この話に乗ったのです。無論、M氏を想定してのことです。早速、学園を訪問、理事長と面談、条件面などを確認した上でM氏に連絡したところ、
「渡部さん悪い、悪い。タッチの差で別の処に決めてしまったんだ。ここ自分に打ってつけの処なんだ」。
いや~一瞬、途方に暮れてしまいました。だって、M氏は前の処の残務整理が数ヵ月続くと言ってんですから。仕方なくその旨T理事に伝えたところ、
「ともかく何方か推薦して欲しい」
「暫く考えさせて欲しい」。
で、考えてみました。少なくともファッションセンスが自分より上であることを基準に。いないもんですねえ。高橋さんは本業が忙しいし、平井さんはリタイアしてしまったし。大学の先輩でレナウンの人事部長を経験されたN氏も俎上に載せたりしたのですが、年齢で難しそう。そうこうする内にすぐ3、4日経ってしまいました。やむなく”自分”を推薦する破目に。で、改めて理事長と面談、こもごもの話を。挙句、少なくとも2期6年続けることを約束させられてしまいました。4月初めのことです。就任は6月1日。という訳で”晴耕雨読”の夢は彼方に。”片手間にでも”と不届きなことを考えたものの、いざ就任したらとてもとても‥‥。本業の方は6月下旬に休業届けを出さざるを得ませんでした。で、学園の皆さんに手取り足取りして貰いながら20数年ぶりのサラリーマン生活を送っている次第です。山口さんの言われる「生涯現役」になるのでしょうか。

●昨年は池井戸 潤さんが直木賞を受賞されましたが、新年早々朗報が。葉室 麟さんが『蜩ノ記』で直木賞を受賞されたのです。山口さんと同郷、久留米出身の作家です。以前、氏の『秋月記』を紹介しましたが、暮れにこの作品を読んでいましたのでちょっぴり嬉しく感じています。また昨年紹介した藤本ひとみ著『銃姫伝』の主人公、山本八重が来年のNHKの大河ドラマで取り上げられるとのこと。新島襄と結婚し新島八重となるのですが、ご関心の向きは是非ご覧になって下さい。まだ先ですが。昨秋、伊集院 静の『なぎさホテル』を読みました。まさかあの逗子海岸のホテルとは。子供時代毎夏逗子に行くのが習慣になっていましたが、何回かなぎさホテルに入ったこともありました。大学時代、2、3年生合同でハイキングに行った時もこの辺りで写真を撮ったものです。本を読みながら懐かしくて堪りませんでした。

●昨年は惨憺たる歳になってしまいましたが、改めて気合を注入すべく、元旦に「神宮」(伊勢神宮の正式名称)参拝を敢行して来ました。内宮のど真ん中に迫り出し、警備員の制止を振り切っての礼拝、自分としても思いもよらぬ行動でした。よほど切羽詰った想いが込められていたのでしょう。人の世の有為転変、生命の儚さ‥‥をしっかり弁えつつ本年もモラル会、続けて参る所存です。どうかお力添えのほどを。

モラル会幹事
渡部 修
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 ・ 2月例会 「日本における緑の党の可能性」(仮題)」 
           すぐろ奈緒氏 杉並区議会議員、「みどりの未来」共同代表 
 ・ 2012年新年会「鳥良(とりよし)吉祥寺4号店」(井の頭公園傍)
           1月14日(土) 14~16時半
 ・ 12月例会 「新人区議奮闘記」 宇佐美正記氏 千代田区議 12月20日(火)
 ・ 第3回老舗企業復興支援シンポジウム参加報告
 ・ 劇 「不思議な卵」トルストイのイワンのばかより:溝口貴子会員(海流座)の公演
   8月26日~28日 於:新宿紀伊国屋7F サザンシアター にて
 ・ 「日本を脅かす!原発の深い闇」 別冊宝島 2011/08/23
 ・ 「衆院厚労委員会 参考人児玉龍彦氏の 3.21の雨」 2011/07/27
    東京大学先端科学技術センター教授 You tube画像
 ・ 9月例会 「小松左京を語る」 杉本 幹男氏(会員) 9月20日(火)18時~
 ・ 8月例会 「放射能汚染の実態を探る」 8月15日(月)
          中村総合研究所 主任研究員 戴 峰氏 予定通り実施。実施報告あり。
 ・ 7月例会 「被災地の老舗企業と震災倒産の状況」19日(火)18時~
          ㈱東京商工リサーチ取締役情報本部長 友田 信男氏
 ・ 「老舗企業復興支援緊急シンポジウム」第2回 at 日本経済大学 7月11日(月)
 ・ 「東電原発震災をターニングポイントに」 田中優 2011/04/01
 ・ 現代女性文化研究所主催 望月百合子忌 10周年記念シンポジウム
   
「望月百合子の生きた時代、現代、そして明日へ」 625日〈土〉1417時 
 ・ NHKが中継しなかった「参議院行政監視 委員会」 原発事故と行政監視システム 2011.05
 ・ 奥澤氏住所変更。 会員名簿をご覧ください。
 ・ 太田 正彦氏3回忌のお知らせ 5月22日(日) 正午~14時 at 東信閣
 ・ 「『幕末銃姫伝』ー京の嵐 会津の花  を読んで」  渡部 修 
  ・ 6月例会 「大震災被災地再生プラン」小浪博英 
          「カフェミヤマ高田馬場駅前店」2号室
         東商会議室ではありません。ご注意下さい。
 ・ 5月例会 「老舗企業復興支援緊急シンポジウム」5月25日(水) 17:00~19:00
         於: 日本経済大学渋谷キャンパス 4階 マナールーム
 ・ お便り ご挨拶及び大震災老舗復興支援について 後藤 俊夫2011/04/21 (木)
 ・ お便り 帰国予定   五十嵐正勝   2011/04/21 (木)
 ・ 「ニュースの深層: これからの福島第一原発と放射能汚染」by 武田邦彦氏 2011.4.13 
 ・ お便り  鈴木俊彦  2011/04/09 (土)
 ・ 4月例会 : 日時:4月25日(月)18時~ 会場:東商ビルB2厚生室 
        演題:「エネルギーの“地産地消化”目指して」
        演者:横山 隆一氏 (早稲田大学大学院 環境・エネルギー研究科 教授)
 ・ 「エネルギーの”地産地消”めざして」(仮題)横山 隆一氏(早稲田大学大学院教授) 7日(木)
   フジテレビ ニュース番組「知りたがり」に出演 (近々モラル会にお出で願う予定) ご覧下さい。
 ・ 「福島原発事故・長期化の深刻」    田中宇の国際ニュース解説  2011/04/06(水)
 ・ 「何故情報開示が遅れたか  管政権の現状」  中岡浩 2011/04/05(火)
 ・ 「福島原発、放射性物質拡散予報」 渡部英宣  2011.04.05
 ・ 「原発がどんなものか知ってほしい(全)」 by平井憲夫氏 1996年執筆 2011.04.04
 ・ 「近況報告」              長嶺 秀  2011/03/30 (水)
 ・ 「福島原発事故 メディア報道のあり方」   by 広瀬 隆氏 2011.03.28
 ・ 「地震発生から1週間 福島原発事故の現状と今後」大前研一氏の動画 2011/03/27(日)
 ・ 「原発 緊急情報」 武田邦彦氏(中部大教授、第一種放射線取扱主任者)2011/03/27 (日)
 ・ 「パロディー版 シーベルト解説」         2011/03/27(日)
 ・ 自治医大菊池透医師説明    中岡浩   2011/03/23(水)
 ・ 3月例会実施報告           渡部英宣  2011/03/23(水)
 ・ 「感動したことを共有しましょう。」 渡部英宣  2011/03/18(金)
 ・ 「福島原発 と 日本の現状」   渡部英宣 2011/03/18(金)
 ・ 「沸騰水方原子力発電所」    中岡浩   2011/03/17(木)
 ・ 「福島第一原発で何が起きているのか」 渡部英宣 (大前研一氏のレポート)2011/03/16(水) 
 ・ 「今何が出来るか?」         渡部英宣  2011/03/15
 ・ 「今どんな情報が必要か?」    渡部英宣  2011/03/13
 ・ 「東日本巨大地震の教訓」     渡部英宣  2011/03/12
 ・ CHCHから現状報告        五十嵐正勝 2011/03/07 (月)
 ・ 地震で被災した、クライストチャーチの五十嵐さんからのメール
 ・ 3月例会日時:3月22日(火)18時~ 会場:東商ビルB2厚生室 
     「閉塞感を如何に打破するか」キーブレイン代表 岡本勲氏(元三菱総研取締役)
      
 シンポジウム 「希望のもてる社会へ」 3月4日(金)13時半~16時半、全労済ホール/
 スペースゼロ(新宿駅南口徒歩5分) 
 浜 矩子・同志社大教授、宮本 太郎・北大教授による基調講演 他
     
 ・ 2月例会:「練馬区の事業見直しについて」 山中康弘会員 (前練馬区行政評価委員)
    2月21日(月)18時~ 於東商ビルB2厚生室
  
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2011年年頭に当たって 

 昨夏、「七転び八起き」(毎日新聞)の中で野坂昭如氏が「市民運動出身の政治家は権力欲が強い傾向がある」と書いていたので、このことをモラル会においで頂いた下山 保さん(パルシステム初代理事長、菅さんとはじっ魂の間柄)にぶつけてみたところ、「確かにそういう面はありますね」とのご返事。菅さんの言動は正にそれを画に描いたようにみえます。というより私には血迷ったというか狂ってしまったのではとの感がします。 

 昨秋、高遠 菜穂子さん、中村 哲さんの講演を聴く機会を持ちました。
お二人とも何と素晴らしい人達でしょう。時の小泉首相が自己責任論で斬って捨てた高遠さんを当時のパウウェル米国務長官が絶賛したことを思い出します。中村さんについてはかなり早い時期から平井さんに話を聞かされていたので、さもありなんと聴きましたが、お二人の活動にはとにかく頭が下がるばかりです。 

 新年早々、念願の彦根城に思い切って行って来ました。名古屋在住の心友の所を拠点に奥澤氏の車に乗せて貰ってです。心友は一昨年夫人を亡くし、一人娘も東京暮らしで目下、一人住まいなのです。元旦の昼に東京出発、夕刻、名古屋着。翌日、やや渋りがちな2人を説き伏せて彦根に向かって貰いました。大晦日にドカ雪が降ったとかでお濠は氷結、8艘の屋形船は開店休業状態でした。天守閣からの眺望は素晴らしく、伊吹山麓、鈴鹿山脈などがくっきり、正に絶景.。博物館で出会った「ひこにゃん」は思いのほか愛らしいキャラクターでした。目的の埋木舎は2月末まで休館、井伊直弼愛用の茶碗こそ見損なったものの大満足でした。井伊直弼は私の義母と同じ石州流の茶人でもあったのです。 
 昼食はキャッスルホテルのレストランで「赤備え膳」。その後、湖の向かいの三井寺(園城寺)へ。かつて修学旅行で訪れたのを思い出しましたが、その時はほんの入り口辺りを歩いただけだったようです。何とも奥深い寺院でとても廻り切ることは出来ませんでした。 

 翌日は電車とバスを乗り継いで熱田神宮に詣でました。これまで何回も傍を通りかかったことはありましたが、中にまで入ったのは初めてです。大変な人出に圧倒されましたが、ここで必勝祈願して田楽狭間に向かった織田信長にあやかりたく、家族ばかりでなくモラル会、果ては全世界の人々全てが平和で安全に暮らせるよう祈念しました。
ひいたおみくじは「中吉」でした。少なからず願いは叶うのではないかと期待した傍からチュニジアで不穏な動きが生じ、ジャスミン革命とか。まだ“チャウシェスク”がいたのかとの思いなのですが、早くもエジプトに飛び火。モスクワの空港では自爆テロ発生と、早くも夢は打ち砕かれてしまいましたが。 

 名古屋に行ったついでに折角なので話題のコメダ珈琲店に入ってみました。接客とサービスで有名な店ですが、「3が日はモーニングサービスはやっておりません」と、ケンモホロロ、応対も噂とは全く異なり、これが現実なのかとガッカリさせられました。ちょっと残念。その後、今回の名古屋行きのもうひとつの目的、心友の夫人の墓参に。 

 こうして個人的には今年は幸先のよいスタートを切ることができました。心友は先程、「次回は伊勢・志麻、南紀に」とメールを寄越しましたが、さてどうしたものか。 
 今年のモラル会ツアーは千葉県の佐原・佐倉辺りを巡れればと考えております。地元の方のお力添えをお願い致したく存じます。並木さんも協力してくれる筈です。

 23日(日)行われた区議会議員の後援会主催の新年会に参加して来ました。モラル会にこれまでご参加頂いた塩見、向井、下山、正清、三上さんらにもお目にかかり、ご挨拶申し上げました。皆さん、私よりやや年長にも拘わらずますますお元気の様子。自分も奮起せねばとの思いに駆られます。 

 前期高齢期に入り、このところ週1度100円で銭湯を利用できる特権をフルに活用しています。温泉気分を満喫できるからです。もっと別の特権もありそうなので研究してみたいと思っています。 

 近頃、これからの身の振り方を考えるようになって来ました。そんな折、森村財閥の祖、森村市左衛門のこんな言に出会いました。「人間の成功は財産の多い少ないではない。自ら顧みて良心にやましい所がなく正直な努力を誇りにする人になれば、周囲に信用され、心中の平和と愉快とをもって日々を楽しく暮らすことができる」と。 かつて上梓した『五代友厚』の生き方に通じるところがあるようです。
 とまれ閉塞感漂う世の中ですが、今年も皆さんと共に元気に生き抜いて参りたく存じます。どうか宜しくお引き回しのほどを。

幹事 渡部 修

 ・ 2011年 新年会: 1月15日(土) 14時~16時半 北前そば高田屋【銀座2丁目店】
                              銀座2-2-2新西銀座ビルB1F
                              TEL.5524-0727

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