モラル会
2012年

計画・実施報告


 左右の写真は「ブータンハウス苦楽園」より借用
2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 投稿欄 Privacy-policy
会の沿革 お便り08年 お便り09年 お便り10年 お便り11年 お便り12年 お便り13年 投稿規定 会員名簿
講師の方へのお願い:
資料を掲載しています。定例会で配布する資料は原則的にデジタルのソフトにて提供して下さる様、ご協力を
お願い申し上
げます。(ハードコピーからの掲載は、HP容量の増加と、手間の増加となり、作業が大変です。)

会員名簿: ID・パスワード等お忘れの場合は管理人にお問い合わせ下さい。
日時   110 演題   140 氏名/所属・他    222 資料・参加者等     260
12月15日(土)
14時~17時
遊食家「厨(くりや)」上野店
忘年会
地図2
従来の新年会を忘年会に切り替えます。 処詳細: (JR上野駅不忍口、ABAB向かい仲町通り、TSUTAYAとサンクスの間を入って40メートル左手)

参加者:安原会長、宇佐美、奥澤、河口、久保、佐藤、高橋、並木
堺次夫氏(悪徳商法被害者対策委員会 会長、モラル会講師。)、
斑目雄氏(元三菱総研、以前モラル会に参加)、
五十嵐正勝氏(元テレビ朝日)
当方、アメ横を探索しようと、少し前に上野に到着。そこへアテナの渡辺会長から電話。場所が判らないと言う。御徒町方面より、西郷さんの銅像の方まで来てしまったとのこと。
色々とやりとりするが、周囲が煩くて電話が良く聞き取れない。
そこで、買い物を諦め、出会うことにしたが、何回電話しても、お互いの場所が判らない。交番の前を指定して、出会うことにしたが、電話が如何も遠くて良く判らない。どおしてここが判らないのかと思っていたら、ごく近くで、後ろ向きでお互いに背中合わせに立ってしゃべっていた。
ほんの一歩の近さなのに、携帯電話を通すと声が遠く、どこか遠くに居る様に思え、不思議な体験であった。
歩き出したら、高橋氏が前にいるのに気が付く。地元の強み。彼が案内してくれた。

この処、体調不良で参加が出来なかった安原会長も定刻通り出席され、和やかに開始。
但し、当方も知らないお顔もあった。(以下小休止)

纏め:修氏担当。
  

11月19日(月)
18時~
東京商工会議所ビルB2厚生室

ベトナム・ミャンマー報告

㈱アテナ会長 
渡辺 順彦氏(会員)

氏は9月末~10月上旬、日商ベトナム・ミャンマー経済視察団(岡村 正=会頭・団長)に参加されました。

参加者:浅野、奥澤、河口、久保、佐藤、、杉本、高橋、武石、丹、中山、並木、渡部修、英 

配布資料: ミャンマー・ベトナム経済ミッションに参加して  東商新聞 新聞コピー等 
        日経新聞(配布無し)

(株)アテナ関連資料: ジェー・シー・アイ 六連星物語会社概要 
              永福荘(特別養護老人ホーム)
        
参加: 東京商工会議所の会頭、副会頭、委員、企業参加者 等を含め計123人
     三菱商事(社長以下6人)、伊藤忠(副社長以下4人)、丸紅4人、住友3人、物産等
     商社の参加が目だった。又、現地商社員30名位が対応にあたった。

場所: 日本大使館の会議室(ベトナム、ミャンマー共)

実施: 団員は相手方の政府要人等との会議、交渉(相談、要望や質問に対し回答する等)の
     連続 (残念ながら報告出来る様な具体的内容は無い。)
     自由時間は ベトナム、ミャンマー其々半日しか無かった。

ベトナム:
 ・南北2000Km 大きな街はサイゴン(ホーチミン)、クエ、ダナン、
 ・人口は現在8000万人で、2030年頃には日本と同じ人口を予想。
 ・4年前にマレーシア、シンガポール、タイ、ベトナムを訪問したことがあり、今回は2回目。
 ・日本企業の進出が目覚ましい。ベトナム側から、自動車産業のすそ野を広げたいという、
  具体的要請があった。(本田等の部品メーカー)
 ・社会保障体制の確立が必要で、有料老人ホーム等ニーズがあり、ニュースバリューが
  高いと  感じられた。
 ・ハノイ工科大学との意見交換では、介護師等、その様な場所で働く人々の資格取得の
  為の職業訓練学校を作って欲しいとの要望が出た。
 ・ドイモイ政策により、勤勉 。労働意欲は概して男性より女性のほうが高く、質も良いが、
  就業機会は少ない様である。
 ・日本語学校+介護の資格講座等の職業訓練校を作り、生徒を日本に派遣することも提案
  して来た。具体化は未定
 ・先ずは箱物が必要。三菱等現地の人達は作る技術はあるが日本政府の対応(支援)が
  必要。
 ・福祉大学で受け入れ、日本の資格を取らせ、日本の施設で受け入れる等を検討すべき。
 ・ハノイだけが近代化。 電力事情は悪くない。
 ・オートバイは4人迄OK


ミャンマー:
 ・国連総会が同時期に開催された為、副大統領レベルとは会えたがトップとは会えず。
 ・インフレがすごい。通貨交換はドルのみ。レートは一般と、街の2重であり、差が大きい。
 ・クレジットカードは使えない。
 ・人は日本人とそっくり。考え方も日本人に近い。親子3世代同居。
 ・他のアジア地域での宗教に基づく問題、例えばイスラムの人々の就業時間内のお祈り等、
  宗教上の優遇は逆差別を生む。
 ・ミャンマーはターゲットとして良いのでは。
 ・お茶の質が良い。伊藤園等来ている。停電が毎日頻繁。但し短時間(30分とか)
 ・役人不足。 軍人が幅を利かせている。
 ・環境整備が出来ていない為。

団員としての会議だけではもったいないので、(株)アテナで始めた、出身地静岡県にある、
関連会社のJCI {筋ジストロフィー患者や、重度障碍者向けアパート、ケアーサービス
(40床)、JCIは 年間30億円の売り上げ (5000万円の利益)}関連の説明をして双方の
国のニーズの掘り起こしをおこなった。
ベトナムもミャンマーも介護やケアーサービスのビジネスに対し強い興味を示している。

最後に、JCIの説明をして頂いた。(上記(株)アテナ関連資料を参考にして下さい。)

Q&A:
介護師等の資格取得支援と日本政府の姿勢に付いて複数の人から話があり、現在の日本政府の対応では資格を取っても、日本で就職したりすることは非常に難しい。システムを売り込み、現地でニーズに応えることは可能だが、日本での資格取得をベースにした、人材の派遣等は実現性は薄いのでは?との感想が多かった。
(これは、日本政府が、外国人の受け入れに対し、本音の処でポジティブでないからで、外国籍の個々の人の問題ではなく、海外からの派遣労働者に対しての文化の違い等をりゆうとした、日本人社会の純化を望む環境整備上の問題の可能性がある。)


* 上記介護ビジネスには資格取得が非常に重要。
* それを具体化、支援するには日本語の語学力アップが必要。
* その為の日本語学校に於ける日本語教育に付いての政府及び民間の活動に付いて、
   浅野さんに追加説明をお願いした。

 ・㈱専門教育出版の実施する日本語能力試験(於ベトナム):
    1ヵ月おきに受験出来る。(2,4,6,8,10月)
    2012年の受験者:月100人のペース。 それが、10月に一挙に2000人に増加。
    これが5000人になる可能性もある。 
    急激な増加に対し、現地試験場で、不正が行われる可能性もあり、体制の確立と、
    抜き打ち検査的な対応も必要になっている。
    増加の理由(推測):
      試験で合格すれば、ビザが貰えるから??
      国を上げての仕組み? 目ざとい人たちのビジネス商法?
      試験合格レベル証 と 経費証明 があればビザが貰える。
      年4回の入学 (1、4、7、10月)
    多いのはハノイ(4000人、ハノイ国家大学)、ホーチミン(1000)
    サイゴン(ホーチミン)の人は米国志向が多い。
 ・日本政府のものは、年1回留学チャンス 世界20万人 
 ・民間、7社で試験が追加されると ⇒ 毎月受験可。 180点満点 90点合格。
 ・日本全国24か所の入国管理所(管理が行き届かない可能性があり、不正にビザを取得
  したものが簡単にすり抜けることがあると信用に傷が付く。
    研修ビザは6か月 ⇒ 日本語能力試験合格すると 2年
    在日ベトナム人 日本語能力試験を受ける。

写真:

帰路                          東京駅
  
10月22日(月)
18時~
東京商工会議所ビルB2厚生室
「日中関係の今後を考える」

中村(戴) 峰氏
ASPA総合研究所 
主任研究員

*皆さんの質問に答える形にしては、とのことです。
*2008年3月17日 定例会講師。
 「新・国富論」
*2011年8月15日(月)定例会講師
 「放射能汚染の実態を探る」

参加者:鹿島、河口、久保、杉本、中山、並木、奥澤、佐藤、武石、渡部修、英

配布資料(修氏より): 1.7.は必読
1.米ニューヨーク国連総会(9/29)での日中両政府の応酬
2.日中対立「理性を取り戻せ」 中国知識人 「棚上げ」467人署名

3.ある調査結果から ほんねのコラム ふるまいよしこ(フリーライター)
4.「日中市民共同声明」を呼び掛けた 丁寧さん

5.9月の訪日中国人激減 Fujisankei Business 1
6.私の視点 真の世論に耳を澄ませ  原田忠直
7.燃え広がった反日デモと「愛国」の正体 ふるまいよしこ News Week 12-10-3


尖閣諸島問題に絡み、中国の海軍軍艦等を含めた軍事演習が尖閣諸島近辺にて行われ、日本との接続水域への軍艦の侵入等が報じられ、中国の一歩も引かない等の強行姿勢が取りざたされているが、実際はどうなのか、日中双方を良く知る戴さんとの懇談を行った。

次の様な話があった。;
日本では、半日デモの問題が大きく報道されているが、もうそれ程大した問題ではない。
各地でのデモの参加者は合計でも数万人のレベル。中国の13億人の国民からすると、殆ど問題とならない数字である。

領土の取得は全て戦争の結果であり、力のバランスの上に成り立っている。日本の戦国時代も同じ。EUと言うのは、その様な戦争を通じての領土の獲得を止めようとしての話し合いを通じて生まれたもの。
尖閣諸島の購入等、都知事には権限は無いのではなかろうか。選挙で選ばれた国の総理大臣や、都道府県の知事等為政者の権限は通常想定された行政の範囲内であるべきで、安全や戦争の遂行等、当初想定されていなかった重要な決断をする際には、改めて投票による市民や国民の選択に従うとか、その権限の可否を議論することが必要であると思われる。

現在の政治家は、ある決断をした場合の世界や近隣諸国への影響を、見通せていない。
石原さんや野田さん、外務省等の官僚も、外交・社会・システム等に於ける人の行動がどの様になるか、一つの決断の影響がどの様に表れるかと言うことに対する綿密な予測、調査、周到な研究の姿勢が欠けていたのでは?結果として、政府関係者の総合的理解力が可なり低いレベルにあるのではないか。

中国にはTVが100Chあるが、90Ch以上は抗日戦争を常に放映している。毎日、毎日、日本の行った残虐行為を放送し、国民に学習させている。その様な放映を止めさせられないのは両国に取って悲しいことであり、止めさせる為の努力をしない日本の政治家の責任でもある。

中国側も、その様な過去の問題を延々と放送するより、映画の相互交換や、放送番組、ドラマ等の交換や文化交流の促進を通じ、両国の未来に向け、より良い理解を得る様な前向きの活動を活発にすべきであろう。日中国交回復時の時以上の、日中両政府の未来を見据えた前向きの活動を期待したい。

日本のODA等、世界への対外支援に付いては諸外国に殆ど知れていない。支援を受け取っている国の国民は殆ど知らない。感謝されていない。だから、何かあると、日本が大きく問題とされる。日本が援助しているお金が何の為に、どの様に使われているかをその国の国民に十分説明し、それに応じた感謝がされるべきで、それをして来ない外務省等は全員、するべき仕事をしていない。

中国はメンツを重視する国である。胡錦濤主席のメンツをつぶされた事が、大きな原因となっているとの見方もある。APECにて会った胡錦濤主席と野田首相が言葉を交わし、胡錦濤主席は「国有化はダメ。誤った決定を下すことなく、日中関係を維持して」と語り、野田首相は「大極に立って処理したい」と言ったが、その2日後に尖閣諸島は国有化された。
この退陣間際の胡錦濤主席のメンツ丸つぶれの状態を作った事が最大の問題と言うジャーナリストもいる。政治の中では様々な関連があり、メンツが政治家の立場を危うくする場合もある。お互い、相手の体面を尊重しながら節度を持った対応が必要である。

尖閣諸島は東京都や国が購入するのではなく、日中友好協会(日本の団体)が購入すれば、全く問題は起きずに、友好的に合意が得られたと思う。

この様な現状認識に立ち、Q&Aが行われた;
中山教授; 150人程の中国人を受け持っているが、それらの学生は、半日デモ等の影響は全くない。日本にいて、ごく普通の対応、生活である。

戴さん; 日本の政治家は勉強不足。拉致問題等その極み。北朝鮮にとっては、日本は依然として戦争中の国だったのだから、拉致等あって当たり前。それを小泉首相の時に、拉致を認め謝罪し、拉致被害者を一時帰国させたのだから、国家としてかなり大きな譲歩をしている。その一時帰国者を返さなかったのは大きな外交的問題。又、日本が大量の朝鮮人を拉致して日本に連れ帰ったりしていることは全く問題とされず、北朝鮮の拉致問題だけを騒いでいる。拉致担当大臣等も頻繁に変わっており、全くバカな話。

久保さん; 中国の反日デモの結果、諸外国にからの中国への投資は一段と冷え込み、ベトナム等へのシフトが進むであろう。中国の経済成長が6%を切る様になると、大きな問題が噴出するようになるのでは?

戴さん; 日本は海外進出すべきでなかった。まず、日本での雇用を守り、日本からの輸出で日本人の幸せを守るべきであった。海外に進出した結果、全てのノウハウが海外に流れ、しかも、労働者の搾取と抗議が起こり、長期間では、全く日本の為になっていない。

英; 日本は80年代、良い安い商品を輸出し、結果としてアメリカの製造業が衰退して行った。安い商品を輸出と言う面では、現在の日本と中国の関係と同じである。
日本はグローバライゼーションを是として、受け入れて来て、様々な施策を行って来たが、それが間違いだった様に思われる。

日本の海外進出の一つの側面は、世界の南北問題の解決に協力し、雇用の創出を通しその国の国民の生活を安定化し、購買力を付け、それを通して利益を得ると言うこともあったが、労働力搾取等の問題のみがクローズアップされている。
中国等の一般的な工場では、社員の退社時に、全員の身体検査をして、工具、用具、製品の盗難防止等を計っているが、将に会社と社員の信頼関係は無い。この為、その様な会社では労働争議等が起き易い。人間形成や社員教育等に力を入れる等、その国で感謝される様な方式を取り入れないと長続きしない。

等出席者からも、色々な話が出た。2次会でも、延長線で各種意見交換がされた。

           
9月24日(月)
18時~、
於東商

「お金の話ー歴史、蓄財、思想」


講師:並木和夫氏
並木和夫氏
コンサルハウス択善舎
〔社〕全国信用金庫協会
全国しんきん相談所

当日、ワイマール共和国の超インフレ切手を持参して下さるそうです。

参加:奥澤、鹿島、河口、久保、小浪、佐藤、杉本、高橋、武石、中山、並木、渡部修、英
事前配布資料:貨幣の役割と理論(歴史的な考察) (お便り

講演会纏め:By 河口良伍行政書士)


久しぶりに並木さんの講座。6月8日関廣野氏(評論家)による、「政府通貨と所得保証による経済の再生を」の講座で、通貨の話があり、並木さんが纏めを書いてくれたが、難しい講座のお話を判りやすく纏めてくれた。その時に約束してくれた「通貨に関する判りやすい講義」が、今回の講座である。

サラリーマンのsalaryがsalt,塩が語源であり、ローマ兵の給与が塩で支払われたことから等の教養的な挿入話も多く、期待通りの面白いお話だった。
(この話は、辞書には載っているが、日常、辞書など殆ど引く事が無い方には、結構新たな知識であったのでは?)久しぶりに勉強した、為になったと言う感想が多かった。さすが、並木氏である。

右肩上がりの時代には、預金している額に、ささやかながらも利子が付き、少しでも増えて行くのが当然と思っていた。しかし、デフレになり、利子が付かない状態が続き、少々不満を思っていた。
所が、今日のお話で、ミヒャエル・エンデが「利子を生まない貨幣」を言い、保蔵すると価値が減少する様な仕組みの元では、預金即ち溜め込むより消費する様になり、世の中、お金が回るようになる。つまり、景気が良くなる等の論があることを知り、とても興味が出た。
紹介された「エンデの遺言」を読み始めた所である。

お話を聞いて、又、皆様との討議を通して、「日本銀行券を増刷して、インフレターゲティング、円安による穏やかなインフレへの転換を実施すべき」と言う私の持論は、ますます正しいと思えた。現在の日銀は、本当に仕事をしていない。失われた20年は日銀の政策のまずさ故であると、改めて強く感じた。

日銀が穏やかなインフレを目標に出来ないのは、一旦インフレになると、急激に超インフレになり、制御出来ないことになるのでは等、通貨コントロールに自信が無いからであろう。
確かに、80兆マルクの切手が出る程のインフレは恐ろしい。
しかし恐れて何もしなかったから、失われた20年となったのであり、それが未だ続いているのである。日銀よ、仕事をしろ!(英)

ワイマール共和国の超インフレ切手

2次会

幕末・明治期の志士達:


本講座には全く関係が無いが、たまたま会話に西郷隆盛等、幕末・明治時代の志士達、変革を推進して行った要人46人が一堂に会し撮影した写真の話が出たので、当方にある写真をご紹介する。

写真の人物が誰であるかの注釈が正しいかどうかは不明であるが、一応、通説ではこれが正しいとされている。この時代にこれだけの英雄達が集合写真を撮ることが出来た筈は無いとの話もあるが、それは専門家達にまかせ、この写真から当時の状況に思いを致す方が楽しい。

明治天皇や勝海舟等もいる。皆物騒な大刀を持っているのが目立ち、当時の小柄な日本の若者が自分の体躯にしては大きな刀を後生大事に抱えている、その胸の内が見て取れる様な気がする。アメリカの西部劇に出て来るガンマンを思い出させる。皆非常に若い頃の写真であるが、これら若い志士達が日本を変革したのかと思うと、驚きと共に、楽しくなる。 (英)

PDF版
名前と対象して見るにはPDF版が便利かも。
         
8月27日(月)
18時~
東京商工会議所

「グローバリゼーションと日本語学校」

浅野 篤彦氏
㈱専門教育出版 
営業企画部 部長

参加: 五十嵐、奥澤、小浪、佐藤、杉本、高橋、武石、中山、並木、松山新、山口、渡辺、渡部修、英
講座の纏めは五十嵐氏にお願いしているが、未だ届いていない。

レジメ
・浅野 篤彦氏とはひょんなことで知り合うことになった。

 昨年夏、日本経済大学で後藤 俊夫教授を中心に開催された「老舗企業シンポジウム」にモラル会からも8人ほど参加させて頂いたが、終了後のレセプションで杉本 幹男氏が「石神井高校」と口走ったのを浅野氏が聞きつけ接近されて来られたのである。
 杉本幹男、渡部 英宣、そして小生の3人は石神井高校、昭和37年卒、しかも1、2年次はクラスメイト(成績順位は皆さんのご想像通り)である。
浅野氏は我々の10年ほど後輩に当たり、まだ”良き時代の石神井高校”の雰囲気を残された仁である。氏は大学卒業後、百貨店の丸井に30年ほど勤務、長年、幹部を勤められた後、現在の専門教育出版に転身された。同社は日本語学校向けの教科書等の編集などを主体に、傍ら日本語学校も併せて運営している。

・わが国の18歳人口は1992年の204.9万人をピークに以後、毎年3%ずつ減少、
2009~2018年までは120万人を維持するが、その後100万人割れが確実視されている。
これを大学、短大、高等専門学校、専門学校がターゲットにして奪い合う恰好となっているのが現状。従って今後はどうしても留学生の確保が大命題とならざるを得ないのである。

が、実際に指導に当たる教師陣としては日本語がなかなか通じにくい学生を相手に指導するのはとても厄介。出来れば避けたいのが人情。そこを何とか克服しなければというのが今の(田中千代学園の)小生の役回り。ということで浅野氏には大いに助けて頂いている。そんなことで今回ご講話を頂いたが、それだけでは勿体無いので先生を経験されている五十嵐、松山(新)、山口の各氏に声をかけさせて頂き、結果、あのような活発な会となった。中身については詳しい資料を用意して頂いたので省く。小生にとって圧巻だったのは、山口氏の”カラオケで学生とのコミュニケーションが図れた”との件。今後、大いに参考にさせて貰おうと思っている。
幹事
           
7月6日(金) 
18時~
東京商工会議所



NTT出版

  
「ブータン王国の今と昔」 

西岡 里子氏 
ブータン王国の農業の父と呼ばれる故西岡 京治(けいじ)氏夫人。詳しくはホームページをご覧下さい。
HP:「ブータンハウス苦楽園」
http://www.geocities.jp/bh_
kurakuen/

西岡京治・西岡里子ご夫妻によるブータンでの長年の活動と、それを通してのブータンの紹介
昨年末、ワンチェク国王夫妻が来日した際、里子氏と歓談されている様子をテレビで拝見したので、幹事と親交のあるご長男の徹夫氏(食品会社勤務)にお願いし、実現に漕ぎ着けたもの。

参加者: 浅野篤彦、奥澤、鹿島、河口、久保、小浪、佐藤、杉本、高橋、武石、並木、安原会長、渡辺、渡部修、英
参考資料:読売12-5-25~教育ルネッサンス 幸せの国から
       1.「ブータンの徳全教科で」 2.給食きっかけ学校へ
        「反貧困と国民総幸福量」

西岡様より、お便り(お便り欄掲載)と、資料を頂きました。(2012-07-15)
       1.ブータン王国概略      2.2011年11月16日毎日新聞夕刊2

纏め、
   「ブータン王国の今昔のお話をお聞きし、写真を見て。」 by 渡部英宣

講演にて使用した写真: 里子氏のご好意で、サムネールの計122枚を掲載させて頂きます。

特別情報 ブータン紹介のTV番組: 2012年08月06日 テレビ東京から放映
        未来世紀ジパング 池上彰がブータンへ!ついに“幸福の国”の秘密が・・・
        幸福度vs経済成長 の行方とは?チベット仏教の影響、 
         ダライ・ラマ14世に単独インタビュー 等、DVD(ブルーレー)(約54分6.3GB)
        ご覧になりたい方は管理人にコンタクト下さい。
写真:2次会atガード下

撮影by小浪
           
6月8日(金)
18時~
東京商工会議所
「政府通貨と所得保証による経済の再生を」 関 廣野氏(評論家) 
早稲田大学卒業後、共同通信社記者15年。
退職後在野の思想史家に。
著書多数。近著『フクシマ以後』
(11年10月、青土社)。
豊橋市在住。
児童文学の大家、関 英雄氏の長男。
幹事のクラスメイト:杉並・天沼中学校

質疑応答の際、当日のレクチャーのみならず、過去の著作、講演内容(ネットでかなり見ることが出来ます)についてもご質問を、とのことです。 (幹事)

参加者:宇佐美、奥澤、鹿島、久保、佐藤、高橋、丹、中山、並木、渡辺、渡部修、英
網野 邦男氏(元大日本印刷)
今回の纏めを並木さんがやってくれたが、非常に判りやすく纏まっている。近々、この並木さんによる貨幣論の解説講座をお願いする予定であるので、ご期待下さい。
   講演纏め
   「講演政府通貨と所得保証による経済の再生をについて」 by 並木和夫

本講演を理解する為に特に参考になるURLを記載しておく。(この論考は判りやすい)
   「生きるための経済」 なぜ、所得保証と信用の社会化が必要か by 関廣野


関氏からのメールあり。
 
           
5月21日(月)
18時~
東京商工会議所



「3.5インチフロッピーディスクの開発と標準化について」 横浜薬科大学教授 中山正之氏 元ソニー㈱
参加者:浅野、宇佐美、奥澤、鹿島、河口、久保、佐藤、高橋、武石、中山、渡辺、渡部修、英
コンピューター、電子計算機と言えばIBM等のメインフレーム位しかなかった1970頃、そして電卓がようやっと世の中に出てきた頃から、 フロッピーがその役目をほぼ終えた2007年位の間の約37年間の計算機関連のトピックス、特に、3.5”のFD(フロッピーディスク)及び、FDD(フロッピーディスクドライブ:記録再生機)を中心にお話しして頂いた。

中山氏のS社入社は1964年で、当方(英)や鹿島さん(小生と同期)の入社の3年前であり、二人とも、その後の氏の活動とあちこちで接点があり、かなり似た様な経緯の中での話だった上、渡辺順彦氏(会員=アテナ会長)も創業当時からS社と深い繋がりがおありだったとのことで、新製品開発の裏話的な体験談を興味深くお聞きした。

詳細はパワーポイントのレジメと、氏が出版された「世界を変えた1枚のディスク」(表紙写真左)をお読み頂きたい。(尚、小生等数名は既に読ませて頂いていたが、本日の出席者には後日、この著書をお送り頂けるとのこと。この場を借りて感謝したい。)

ppt資料:「世界を変えた1枚のディスク」3.5"FD開発物語


講師:中山教授(左)

左:FDDの1号機サンプル
右:生産終了時の最終
   製品(同一性能)

自己紹介:久保

鹿島
佐藤
渡辺
  
以下、説明にあったppt資料に、特記事項を追加する。

P1-5:氏の最初に手掛けた、インフォーメーションリトリーバル機は、小生達が入社後1.5ヶ月
    で発表された物で鮮明に記憶している。(その時にメインとして発表されたSOBAX=
    卓上電子計算機の後継機の開発に、後日、小生は参加することになった。鹿島氏も
    研究部で参画。)
P2-3:ソニーの新製品開発提案時の特徴:大きさのイメージを箱で示す。
    上記2番目の写真の左側のサンプルが実現されたもの。
    一方、当方は生産終了間際のFDD新製品(同、右側写真)の設計改善の技術指導を
    お手伝いしたこともある。
P4-6:ワープロ専用の表示部として、A4縦型を意識したユニークなディスプレー
P5-2:ソニー初のマイコンSMC-70で、FDDはこの機種にも採用されている。性能的には
    素晴らしかったがソフトが揃わなかった。世は未だNECの9801等が全盛の頃で、
    Windows95の様なOSに基づき沢山のソフトメーカーが動き出すと言う環境ではなく、
    10数年早過ぎ。計算機、ソフト無ければ唯の箱なのであった。
P6-4:HPに続き、アップル社のマッキントッシュが3.5”を採用したことにより雪崩的に
    3.5”FDがデファクトスタンダードとなった。
P6-6:USBメモリーの出現により、FDの需要が減少し始めたが、一度業界標準になると、
    FDDが付かない機種の販売は出来ない為、PCの出荷台数増加に比例して、FDDの
    増加傾向がその後7~8年も続いた事を示す珍しいグラフである。
P7-2&3:ハードディスクドライブ。垂直磁気記録技術の出現で記録密度は大幅に上がり、
    FDの容量が1~2MBから、HDDの記憶容量が1TB(テラバイト: 1Mの1000倍が
    G(ギガ)、Gの1000倍がT(テラ). つまり100万倍)が普通となって来ている。
    (最近では、¥15000.-以下で2TB。HD画質のテレビ動画2時間を200本近く記録
    可能なHDDが出現している。)
P8-4:博物館に展示と言う事は、誇らしい事ではあるが、残念ながら、既に過去の物である
    ことの証でもある。小生が開発に携わった機種等が、佐倉市の歴史博物館にあるのを
    発見した時には、誇らしさより、自分が既に過去の人の様な感じがして、かなりのショック
    を受けたものである。
    今やテープのウォークマンを使う人はいない。技術の進歩とは開発者にとっては
    かなり辛い事でもある。それでも技術者たちは次の開発の為に凌ぎを削っている。 

Q:S社の放送機器の衰退、M社の急伸は何故?
A:(時間が無かった為の説明不足をここで追補する。)ベースはNHKの政策。NHKは世田谷区砧に、放送技術研究所があるが、そこで放送技術の基礎的研究をしている。しかし、その殆どは各社の研究機器開発内容の後追い、纏め。独自技術は殆ど無い。但し、それをベースに将来への方針検討も行う。経産省等と共に、地デジ化の推進等も、最近の一つの例。
その技術研究の為に、NHKに納入する機材の仕様、理論、回路構成等、ほぼ全ての詳細な資料を納入各社に出させている。(当然社内の極秘資料)。
NHKはそれらをベースに共同開発等の形式で外部に発表する事が多い。又、力関係で、NHKが開発と主張する場合も多い。(開発に携わる民間の技術者にとってはなかなか割り切れるものではないが、葵のご紋の様なもので、頭を下げるしかないのが実情。)

NASAの軍用ロケット技術を民間への転用で電子機器の発展に繋がった様に、PC以外の日本のdigital技術は放送機器から、始まっていると言って良い。(家庭用VTRやプレーステーション等はその最たる例。尤も、PSP等、家庭用機器の膨大な量がある為、超LSIが安価に作れ、この事が放送機器の更なる発展に繋がった等の補完関係もある。)
従って、放送機器の技術開発には数多くの技術者の投入と、莫大な費用がかかり、それを回収する為に、販売価格は非常に高い。(原価率は低く、利益率は高い。)この為、参入を狙う会社は多かった。が、あまりにも高度な技術の為、参入障壁は高かった。

しかし、S社の急伸により、アンペックス等歴史的に強かった従来のライバル各社が殆ど消えて行った中、S社1社体制を良しとしない空気も出始めた。コストダウンを考えたNHKが新たな競争を起こさせる為に、S社の内部資料をM社に提供し、開発コストを下げて、納入コストを下げさせた訳である。(力関係もあり、この事は外部には知られていない。)

その上、LSIの急速な進歩により、VTR等の電子・機械技術(メカトロ技術)が究極のdigital技術に置き換わることになってきた。これは、テレビや映像処理技術、映像保存技術等の分野でも同じで、必要なのはソフトエアに強いエンジニアや、半導体のエンジニアとなって来た。
しかし、これらの所謂昔の優秀なエンジニアの新分野への転換はそう簡単ではなく、この為、従来の電気・電子・機械等の膨大なエンジニアの雇用維持が難しくなり、大幅なリストラが始まった。(英)


Q:家庭用VTRが高性能で超小型化しているのに、放送用VTRは大型、重いのは何故か?
A:画質や用途については詳細な説明が別途必要。重さに付いては、現場でのカメラマンのニーズに基づいている。手振れ防止が第一の理由。

カメラマンのプロとアマとの違いは、狙う被写体に向け、カメラをどれだけ辛抱強く、固定させられるかに掛かっている。映像を見る者は、カメラが揺れたり、早いパン(画面の移動)を嫌う。
普通の撮影者の感覚の2~3倍以上の長時間の固定やスローな移動が必要になる。
これを簡単に実現し、ブレを少なくするにはある程度の重量が必要となり、軽すぎる場合はバッテリー等で重量を出し、且つバランスを保つ様にする位である。
(レンズ部分に揺れを防止する為の機構を追加したり、カメラ全体をスプリングで保持する等の各種構造検討はなされているが、軽量化の必要性はそれ程ではなく、それより耐久性のニーズの方が高い。

しかし、重量があり過ぎるとその為の弊害も大きく(移動・搬入搬出や取扱者の制限等)、又高価にもなる。家庭用機器を土台にした放送局用や業務用機器のニーズも増えており、小型化の傾向も一部にはある。
又、従来はVTRでの録画であったが、最近はDisc録画や、IC録画に代わり、更には無線による同時中継等も増えて来ている。(カメラから、中継局へ無線で飛ばし、それをキー局に更に飛ばす方法。) この為、軽量化が大きく進んでいる。しかし、レンズ部分は依然として大きく、且つ重い。この為、バランスとブレ防止技術が大きな課題でもある。 (英)

追加: 画質に付いて:
家庭用VTRの大幅な普及により、高画質なビデオ映像が家庭でも楽しめる様になって来ている。
しかし、これらの家庭ユースは最大でも50”程度の表示であり、それ以上の高最精度な映像の再現は重要視されていない。しかし、放送用画像は場合によっては100”~200”クラスのディスプレーでの再生にも耐える様な映像が求められているし、その場合の画質の補正、ノイズ等への対応策、編集時に於けるフレーム単位の操作、必要な画質・音質の維持が必要となっている。この為撮影時の素材の精度も非常に高く、使用されるレンズやCCDの大きさから、回路処理の方式等も家庭用の画像等とは全く異なった方式で撮影・録音の処理がなされている。故に内部回路や電源方式も全く異なり、この為、サイズ、重量とも家庭用とは比較出来ない。(英)


本来はこのご講演は2月に予定されていたが、中山氏の体調不良による入院の為本日に延期された。もう、ほぼ全快とのことであるが、無理はしない様、健康に十分留意して、今後のご活躍をお願いしたい。
尚、例会後の慰労会・親睦会は、中山教授の体調を考え、又幹事の体調不良により中止となった。(英) 
           
4月23日(月)
18時~
東京商工会議所
「現下のミャンマー情勢」 荒木 義宏氏
ジェトロ海外調査部主査
(メコン地域調査担当) 
1997~2002年ヤンゴン事務所長
参加者:宇佐美、奥澤、鹿嶋、北島、久保、佐藤、杉本、高橋、武石、並木、渡部修、英
浅野篤彦氏
(㈱専門教育出版 営業企画部長)、
渡辺順彦氏
(アテナ会長、日商・東商社会福祉委員長) 
荒木氏は、最近のミャンマーの変貌振りを、多くのデータや写真からなる90枚ものパワーポイント資料を用いて次の様な項目に分け、説明して下さいました。
(ミャンマーの基礎データー、新首都ネピドウ、日本との貿易、産業ビジネスの担い手、外国投資、縫製業、農業、食品加工、自動車産業、工業団地・インフラ事情、ホテル・観光・不動産、小売流通業、外食産業、教育産業)
ご講演はさすがジェトロと思わせるもので、都市の変化、経済の発展、成功者達の素顔等について、非常に判りやすく、インパクトのある内容でした。

(以下前半の概要)
人口約5700万人とされているが、データはいい加減。前回の国政調査は2008年であったが、実際の数値ではなく、かなりの推定値である。国土67.8Km2は日本の1.8倍。特徴的なのは135の部族からなる、多民族国家であること。(70%はビルマ族)。この為、現在でも、多くの紛争が尽きない。

1937年より72年間で政変により、政権が大きく5回も変わり、その度に国旗も5回変わっている。この間、世代も大きく変わっており、中間所得層の急速な拡大を通し、国民の関心は政治より経済へと変わってきている。軍政が一応終わりつつあるが依然として政治の主要箇所を軍が占めており、選挙の動向と、軍の関与が予断を許さない。

小説「ビルマの竪琴」でかなり親しみを持っている人もおられる様なミャンマーだが、日本人が抱くミャンマーの親日的と言うイメージとは異なり、実際にはそれ程親日感はない。他の諸外国との等距離外交路線の一つに過ぎない。
東南アジアの中でタイやベトナム等の発展の影になってはいるが、ミャンマーも大きく変貌しており、この10数年で物凄い変化が起きている。従来の都市の変貌と言うより、軍政府要人の出身地近くの何も無かった土地に、新しい近代的都市を作る等で、新国家を作ろうとしている。

日本との貿易は2004年頃から急激に拡大し、2002年約100万ドルから2011年約600万ドルと6倍に急拡大。(日本の輸出は自動車、電気製品、機械製品等の産業振興財、輸入は衣料、靴等と共に、農水産物。日本の技術支援で成長した中国から、多くの技術支援を受け、大きく成長しつつある。) 

(詳細内容はPP資料(pdf)をご覧下さい。)
写真で見る都市の発展振りは素晴らしく、町や会社、施設、お店等、他の東南アジア諸国と殆ど変わりない位に変化しつつある。振興住宅街やその未来像等は上海等の中国と同じであり、近未来を実感させる内容であった。又、生産性の向上を狙い、農村の区画整理による、農業の機械化の導入、大農場への集約化等は、逆にTPPで揉めている日本が真似をしなければならないと思う様な示唆に富む変化でもあった。(英)

注1: 並木氏より会計報告があった。 会員名簿の最下段に特記事項として添付。
             
3月31日
14~19時

シンポジウム 14:45~17:30

四谷・イグナチオ教会 ヨセフホール
 『貧困待ったなし!どっちらかりの10年間』(岩波書店) NPO法人もやい(湯浅 誠事務局次長)   参加者:奥澤、高橋謙夫、尚子、渡部 修、美奈子  
もやいイベント参加報告:

・春の嵐の中、挙行されたイベントの中で開催されたシンポジウムでは、この10年間の活動の紆余曲折の模様が各パネラーから語られた。数多の試行錯誤の中から、01年もやい設立、朝日新聞「天声人語」で紹介されたのを機に、活動が広く知られるようになり、ホームレス問題が浮上した。

ワーキングプアなる言葉も登場、貧困問題が一躍クローズアップされるようになり、3年半前、『反貧困』の発表を機に、著者である湯浅 誠氏にモラル会に講師としておいで頂いたのは記憶に新しいところ。
氏は一昨年夏、鳩山政権下で政府の参与となり一時期を除いて3月上旬までその任にあった。
この間のことについてモラル会でのレクチャーを要請したが、超多忙のため、夏以降に対応させて頂くとの回答を得るに留まった。

気になったのは大阪の橋下市長と接触しているらしき点。緑の未来(将来の緑の党)との連携を期待しているのだが。もっともすぐろ奈緒氏からはすでに接触している旨連絡は貰っている。

シンポジウム後のパーティーで、岩田氏(湯浅氏らグループの重鎮)が美奈子(かつて湯浅氏らとおにぎりを配った仲間)にわざわざ福島瑞穂女史(社民党党首)を紹介してくれたとのことです。(幹事)
         
3月12日(月)
18時~
東京商工会議所
・3月例会:
「大震災被災地事情:南相馬市のケース」

佐藤まゆみ氏(南相馬市出身)
アナウンサー



参加者:
宇佐美、奥澤、鹿嶋、河口、北島、久保、小浪、佐藤、杉本、高橋、武石、丹、並木、渡部修、英
昨年の3.11震災を思い、黙禱から始まった。 佐藤さんはこれで2回目の講師。
南相馬での津波・原発被害に合われた要介護ご家族を、如何にしてより良い環境に移動出来たか、救出劇に関する貴重な経験談を伺った。

・認知症の父上が南相馬の介護施設におられ、津波の被害に合われたが、負傷し、ずぶぬれになりながらも奇跡的に救出された。
・施設壊滅の為、自宅に引き取るも、第一原発の爆発により、自主避難(24Km)することに。しかし、行先無く車中泊後、飯館村草野小学校へ。要介護の為、保健室へと移動。
・物資不足の為、避難所統合され飯館村一号館へ移動。ツイッターでボランティアの方に支援要請。
・飯館村も汚染地域に指定され、全村避難(避難所閉鎖)。しかし、バス移動は歩ける人だけ。
 要介護老人は見捨てられた。
・南相馬市と取手市が災害協定を結んでいることを知り、介護施設への受け入れを依頼。
・そこにも長居出来ず、上北沢のホームへと介護をしてくれる施設を探し、転々と居を変えざるを得無かった。
これらの転居に際し、不合理な各種条件・規則を乗り越え、遭遇した親切な人々の助けや、ツイッターや此方からの積極的な電話での問い合せにより貴重な情報を得ることが出来、何回も状況を改善出来た等の各種の苦労話であった。

尚、本日の演題の纏めは別途下記に掲載されます。

感想:
お話をお聞きしていて、佐藤さんの人柄が、状況改善出来た重要な要素であった様に感じられた。
元々、人と話をする事が仕事の様なものであり、状況を上手く説明し、支援を仰ぐことが普通の人より非常に旨かったのではないか。
普通、困っている時、物事が上手く行かない時等は、自分の思いが強くなり過ぎ、愚痴や非難が出て、余計な悶着が起こる可能性が高い。しかし、現在遭遇している状況を客観的に手短に説明出来、決して人を悪く言わずに、相手が支援したくなる様な状態を醸しだす話術、人柄が、必要な支援を得られた大きな要因であった様にも思えた。
又、各種の困難があっても、諦めず、常に積極的に動き、他人の善意を信頼しつつ、断られて元々、次があるさと明るく、常に前向きな姿勢が必要であるとの彼女自身の纏めには頷かされた。
支援を黙って待つのではなく、必要に応じ、こちらから積極的に動くことにより、必要な情報が集まるというのはどの様な状況でも同じである。(英)

資料:1.SPEEDIプレス発表資料(原子力安全委員会)
    2.南相馬地図
    3.佐藤さんのレジメ(配布せず)
    4.纏め :by 北島敦子氏 
    5.新聞資料(回覧)  (3~5は追って掲載)
写真:講座中
   2次会
   話は多岐に渡ったが、宇佐美氏の華麗なる?各種転身の話に皆さん興味深々。

注1: 上記以外の写真は個別メールで送付致します。
      
2月13日(月)
18時~
東京商工会議所
2月例会:
「日本における緑の党の可能性」
すぐろ奈緒氏
杉並区議会議員
「みどりの未来」共同代表

(28日ドイツより帰国。)
参加者:
宇佐美、奥澤、鹿嶋、佐藤、鈴木、丹、並木、渡部修、英、
久保喬士氏
(IPO=新規株式公開・コンサルタント)
河口良伍氏(行政書士)
北島敦子氏(千代田成年後見センター)、

緑の党の歴史から始め、理念、目指すもの等を説明頂き、その後、食事をしながら Q&A
比較的、話がしやすい内容であった上、千代田区議の宇佐美氏や、氏の友人も駆けつけてくれた為、議論に花が咲いた。又、区議会や各政党の動向も一部理解が進んだ。

「みどりの未来」の理念ビジョン(6つ)、アジェンダ(8つ)に基づき、7月に予定されている「緑の党」結成に向けての、同党の理念等が、どの様になりそうかと言う観点から、選挙戦や、支援者獲得の為の戦略的な話まで色々な話がされた。

特に焦点があてられたのは;

①脱原発をどのレベルまで明確にするべきか、他の言い方は出来ないか
②“脱成長”が、日本の過去の成長戦略や今後の日本経済の動向に対して、各世代で
  本当に、受け入れられるのか、現実に、それで日本がやっていけるのか、
③TPP反対として良いのか?日本だけでなく、発展途上国を含めた貿易体制により全体の
  レベルアップを図ることが大事ではないのか。食糧安保の観点も判るが、日本の農業は
  生産性が悪い部分もある。又、高付加価値の農産物は諸外国でも売れる。TPP参加に
  よる一時的な農産物被害を過大に評価すべきではないのでは?
④電力事情と産業の空洞化、
⑤電力会社の経済・政治の囲い込み支配(天下り先の確保)
⑥各種論点で、党の支持層を本当に纏められるのか 等。

資料:1.レジメ 
    2.パワーポイント資料:(プロジェクターを用意したものの、PCとの接続が出来ず、
      資料を使っての説明は出来なかった。PCの携帯化に伴い、今後、ケーブルの
      準備も必要)
    3.東京新聞切り抜き http://site.greens.gr.jp/article/50476542.html
    4.朝日新聞切り抜き
    5.緑の未来(挑戦2013参議院選)
    6.みどりスタイル(Green Japan News Letter)&広報すぎなみ(表紙のみ)、 
    7.賛同のお願い 
    8.選挙資金1億円カンパのお願い お願い2

写真1:ドイツ研修旅行での写真
     1月22日~28日ドイツツアー「脱原発への道」に参加された時の写真。尚、自分の
     ブログにも掲載されている。


写真2:例会風景

2次会でも、延長戦で、上記の話の続きが討議された。(とても面白かったとの意見が多かった。)

お便り12年もご覧ください。
     
1月14日(土) 14~16時半 新年会
「鳥良(とりよし)吉祥寺4号店」
(井の頭公園傍)
参加費:飲み物代込み:4500円。

参加者:安原、並木、松山新、丹、山口、佐藤、武石宇佐美、後藤俊夫、中山正之、山中康弘、奥澤、杉本、高橋、渡部修、英

安原会長、腰痛にて出席出来ず。 中山氏も同じとのこと。(これにて上記2月度の例会も講師をお願い出来るか不明に。)欠席者もあった。
吉祥寺には不案内の人も多く、お店を探せず、遅刻の人もいた。鳥良は非常に立派な作りのお店であったが、場所がやや判りにくい。(井の頭公園では大道芸人達がパフォーマンスをやっていた。)

暫く、歓談の後、近況を報告しあった。
山口廣:経営コンサルでは老害を非難し、早期退職を薦めて来たが、辞めると老いが急速に進行、健康にも良く無い。自分の立場になると簡単ではない事が判った。辞めずに働け。
松山新:オーストラリアのお孫さん2人を連れて来られた。下の子、優気ちゃんは3カ国語を話すとか。
石井彰:
和光市文化振興公社理事長で多忙。例会と会合が重なる為欠席がち。
新聞切り抜き資料:  ②
渡部英:娘、本日センター試験。数か月に一度の割で結石で苦しむ。千葉医大で、遺伝子の解析調査を受け、変異が判った。しかし対処療法は未開発。中国での講演依頼がある。
後藤俊:老舗企業復興支援では御世話になった。本の出版この3月で45冊目。存命中に100冊としたい。県別や、品物の分野別等を考えているが、執筆の協力をお願いしたい。
山中康:
丹正昭:
並木和:
高橋謙:
杉本幹:
奥澤作:
渡部修:
会社を整理し、学校法人の事務局長に。サラリーマンに戻った。伊勢神宮に参拝した。小中高の友人との繋がりがモラル会でも生きている。(年頭所感をご参照下さい。)

●不況下では、神社仏閣への参拝が増える。今年は何処でも、例年になく、参拝者が多かった。●「円高阻止の為に、円の大量印刷投入や、1~3%以上のインフレターゲティング(日銀法の変更が必要だが)を含め、早急に手をうつべき。失われた20年は政府、日銀の怠慢による部分が大きい」等の議論がなされた。また、●韓流映画の著しい台頭は、韓国政府の支援による処が大きい。日本に於ける水戸黄門を始めとした時代劇の衰退や、映画全体の後退は、産業としての映画への政策の無さが問題。NHK等のTVには最近見るべきものが無い。夜のお笑い番組等、最低。●有機ELテレビやロボット等を止めたS社の動きは、トップマネジメントの質に問題。最盛期に優秀な人材だけを取り込む等が裏目に出て、人材が画一的になったのも遠因。●発展途上国等での各種救済(医療関係を含め)を何処まで人為的に行う必要があるか等、かなりタッチ―な議論もされた。
 Copyright (c) Moralkai all right reserved.