パレスチナの問題は、イスラエルの建国から始まっていることは周知のことである。それ以前には、ユダヤ教徒もイスラム教徒もパレスチナの地に「共存」していた。
イスラエル建国のイデオロギーは、シオニズムである。このシオニズムは決して古いものではなく、19世紀末にロシアに生まれたものだ。
1月16日のガザに関する「緊急報告会」での、臼杵陽教授(日本女子大)の説明ではこのシオニズムの意味がよく理解できた。
教授によると、シオニズムが登場するまで「流浪するユダヤ民族」は存在しなかった、存在していたのは各地に定住し「同化したユダヤ教徒」であった、ということだ。そしてユダヤ教徒たちは本来民族的に同一ではないという。考えてみればユダヤ人社会は母系制で、母親がユダヤ人ならユダヤ人である。さまざまな民族の血が現在のユダヤ人を形成していることは明らかだ。シオニスト自身も、古代イスラエルの国民と現代のユダヤ人とが人種的つながりがないことを認めている。
ユダヤ人というのはユダヤ教という信仰の共同体のことでしかなかった、と臼杵教授は言う。問題はなぜシオニズムが、その「信仰の共同体」に広まっていったのか、である。
一部のユダヤ人が提唱し始めたにすぎない「流浪のユダヤ民族はシオンの丘に安住の地を求めるべきだ」というシオニズムは、1917年の「バルフォア宣言」で、ヨーロッパでの「市民権」を得た。このバルフォア宣言は短いもので、内容は余りに粗っぽすぎる。
「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人のための民族郷土を設立することに賛成、この目的を容易にするために最善の努力を払う。ただし、パレスチナに現住する非ユダヤ社会の市民的、宗教的権利および他の諸国におけるユダヤ人の享受する権利と政治的地位を損なうようなことはしない旨明確に了解される」
各地に同化している、或いは同化しようと努力しているユダヤ人になぜ「民族郷土」が必要なのか。ユダヤ人をどういう「民族」として見ているのか。非ユダヤ社会の権利を損なわずにどうして「民族郷土」ができるのか。ユダヤ人には政治的地位を保証しているのに、なぜ非ユダヤ社会の政治的地位に触れていないのか。
バルフォアはイギリスの外相であり、イギリスはシェイクスピアの時代からユダヤ人への偏見の国である。ユダヤ人を国外に「棄てたい」という意図が透けている。
各地に同化していたブルジョア・ユダヤ人にとってシオニズムは迷惑なイデオロギーだっただろうが、彼等はユダヤ人の貧困層の救済策としてこれを容認した。
状況が一変したのがナチによるホロコーストである。ドイツ人に限らず、ナチ占領下の多くのキリスト教徒が「ユダヤ人狩り」に協力した。
このホロコーストという悲惨な経験によって、第二次世界大戦後の二つの「信仰の共同体」に深刻な変化が生じたことは、容易に想像できる。
ユダヤ教徒たちは、心底キリスト教徒に恐怖したことだろう。このトラウマは、簡単に癒せるものではなかったに違いない。彼等がキリスト教社会から「脱出」を願う気持ちは我々にも分かる。
キリスト教徒の側は、深い罪悪感と贖罪感に悩んだと思う。ホロコーストは自らの内にある差別意識を思い起こさせた。その意識は、ナチスという「狂気の集団」に全ての責任を押し付けるには重すぎたに違いない。
かくして1947年、国連でパレスチナ分割案が採択される。そして1948年には、「パレスチナ難民」の帰還が国連で決議された。国連を仕切っていたのはキリスト教徒達であった。
国連を通しての「ユダヤ人棄民政策」、これは卑劣である。我々日本人も、かつて北朝鮮に多くの人々を棄てた。これも自らの差別意識を「偽りの善意」でもって糊塗としようとする、卑劣な手段であった。
パレスチナに住むイスラム教徒たちにとって、こんな迷惑な国連決議はない。全く覚えのない、それも2000年も前のものだという「古証文」を持ち出して分割されるのである。
営々と生活を築いてきた地に、赤の他人が侵入して来るのである。得体のしれない「古証文」を根拠に立ち退きを迫る集団が、私達の町に現れることを想像すればいい。
だから臼杵教授は、パレスチナ問題を「紛争」と捉えてはならないと言う。「紛争」は、対等の立場で争うイメージを生むからだそうだ。パレスチナ問題は非対称、不均衡の争いであることを見失ってはならないと、臼杵教授は強調する。またアラブとユダヤという対立構造は「欺瞞の対立構造」だと指摘した。確かにシオニズム以前はアラブとユダヤに対立はなかったし、アラブとユダヤというカテゴリーの違う言葉を対置するのもおかしい。
イスラエル国家建設への抵抗は、1948年に始まる。この時ガザに生まれたムスリム同朋団という義勇軍組織がハマスの前身だと、臼杵教授は説明した。ハマスの生みの親は、シオニズムでありイスラエルだったのだ。現在のパレスチナ問題はハマスがもたらしたのだというイスラエルの主張は、明らかに不当である。ましてこのハマスはパレスチナ人が支持し、選挙で勝利している。「自衛権」というものがあるなら、ハマスはその「自衛権」を行使しているにすぎない。パレスチナ問題は、こうした歴史を直視しないと見えてこない。
イスラエルという国を消滅させることは、アメリカ合衆国をネイティヴアメリカンの手に戻すことと同様に不可能なことは誰もが知っている。ハマスも知っている。歴史とはそういうものだ。
だからイスラエルも、先住者の思いを自らに重ね合わせることから始めなければならない。それは先住者をリスペクトすることである。日本的に言えば「敬意」であり「謙虚」であり「遠慮」である。ユダヤ教への偏見をなくすためにも、シャイアンやスーを殺戮してなされたアメリカの建国を、21世紀に再現してはいけない。
もしイスラエルが先住者に対し「頭を低くする」ことができれば、一挙に和平への道は開けるだろう。もし異教徒であるというだけの理由で「頭を低くする」ことができないとしたら、その宗教は「邪教」というしかない。
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