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Terrorism in Japan
2008年8月16日 鈴木俊彦
 秋葉原に代表される「誰でもよかった」殺人は、ある種のテロである。秋葉原の犠牲者と9.11の犠牲者に違いは見られない。9.11と違いがあるとすれば、テロリストにテロであるとの意識が濃いか薄いか(あるいは全くないか)の違いにすぎない。

 テロは18世紀のフランス革命時に生じた、ロペスビエールの恐怖政治に始まるという。敵対する政治的勢力に向けた殺人が相手に恐怖を与え、それによって政治的目的が達成されるというのである。テロの語源が terrorに由来する所以である。
 19世紀には、ロシアの帝政に抵抗する勢力がテロを繰り返した。日本では井伊直弼が、「安政の大獄」の呼ばれるロペスピエールばりのテロを敢行している。
 20世紀初頭のロシア革命時には、赤色テロ、白色テロ、黒色テロが入り乱れたという。

 1930年代に至り、テロはその様相を大きく変えた。対象が国内の敵対勢力から国外の敵対勢力へと広がり、テロの対象も特定の個人から敵対勢力下の大衆へと広がった。ナチスのゲルニカへの爆撃がその嚆矢だと言われている。この空からの無差別爆撃というテロは、大日本帝国海軍の重慶爆撃で一挙に本格化した。そしてこのテロの舞台はロンドン、ドレスデン、東京、ヒロシマ・ナガサキへと展開していった。

 20世紀最初の年の9.11は、この空からのテロの延長上にある。違うのは20世紀の国民国家同士の戦争が、国家を超えた戦争へと変化したことである。国家を超えた戦争によるテロは、実は既にパレスチナで始まっていたのだが…
 パレスチナからイラクに至る戦争の過程で、テロの新たな形が生まれた。自爆テロである。敵対する勢力に恐怖を与える点では、空からのテロに匹敵する「有効性」があった。9.11は「敵対勢力下の大衆を標的とする空からの自爆テロ」というテロの集大成であった。

 反貧困ネットワークの湯浅誠氏の話を聞く機会を得た。氏は、自殺するか犯罪に走るしかないところまで追い込まれている貧困の極限状況について語った。例えば盗んだ自転車でそのまま交番に乗りつけるといった犯罪で、氏はこれを「貧困原因の犯罪」と呼ぶ。
 私はそのような「受動的な犯罪」だけでなく、テロのような「能動的な犯罪」もあるのでは、と問うた。氏は、秋葉原の事件は犯罪と言うよりも自殺に近い「自爆テロ」だろう、という見解だった。自らを捨ててかかるという意味では、まさに「自爆テロ」である。

 秋葉原のテロは敵対勢力の恐怖を呼び起こし、ついに日雇い派遣の問題が検討されることとなった。これがテロの政治的効果である。
 秋葉原の「テロリスト」にテロとの意識があったかどうかは分からないが、それに恐怖する敵対勢力はしっかりと見据えていたと思う。その敵対勢力とは、彼等の極限の貧困を傍観する我々自身である。何の関係もないと感じている一般市民が標的であるところに、まさに9.11に共通するものがある。

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