年末から設営されていた日比谷公園の「派遣村」が、今日5日最終日を迎えた。気にはなっていたが時間がなく、この日の朝やっと出かけることができた。ボランティアセンターに届け出るほどのものではなく、私が参加する「9条改憲阻止の会」の仲間に会えば新年の挨拶もできるなと、野次馬のノリで出かけた。10時半テント村で先輩のM氏に会った。
「この年でお手伝いするのはちょっと面映ゆいですよ」「いいンだよ、いるだけで。人は多い方がいい」「ああ、賑やかしですね」(岐阜弁で景気づけくらいの意)
リーダーがテント撤収のマニュアルをレクチャーし始めた。そしてそのまま近くのテントと格闘するはめになった。思わぬ出番ができたとはりきったが、勝手がわからない。
「そこ抑えて、そこ引っ張らないで」お姉さんがテキパキ指示してくれた。
「もたもたしていると、山なら遭難よ」どうも「山女」らしい。手順がよく理解できた。
結局三張片付けることになった。なんと三張目は、私が指示を出してたたんでいた。
デモは霞門から出発するという。そこにはS達が集まっていた。大先輩のH氏はボランティアとして「皆勤賞」だったという。爺ぶっていたのが恥ずかしくなる。
事務局のスピーカーからボランティアの終了が宣言された。この間の「村民」は399名、ボランティアは延べ1671名と発表された。そんな中、資材を運ぶレンタカーのトラックがあわただしく行き交っていた。
12時15分「村民」を先頭にデモが始まった。半年前のソウル支庁前広場からのデモの出発を思い出した。人の数はソウルにはかなわないが、東京のデモとしては「大部隊」だ。1000名近くいたように思う。ソウルに勝ったのは旗の数だった。各労組を始め様々な組織の旗が林立していた。東京は組織参加が好きなのだと納得した。宣伝カーが呼びかけるシュプレヒコールは、やたら長いなど吟味されていないようだった。
「政府は労働者派遣法を抜本的に改革しろー」私は「労働者派遣法を廃止しろー」とはしょった。「最低賃金をあげろー」と、ちょっとテーマが違うようなのもあった。
我々のデモが国会に到着したのが13時前。議員たちが出迎えていた。これは請願デモであった。この議員の先生方にお願いするパターンは、60年安保の時から気に入らない。むしろ「こんな事態に至って申し訳ありません」と、先生方に頭を下げてほしい。
民主党、社民党、共産党…そして公明党!? なんという図々しい政党だろう。「公明党は帰れー」と私は大声をあげた。「靴を投げたいね」とみんなで笑った。ブーイングは私だけではなかった。出迎えの野党の先生方は両手を高く振って歓迎してくれていたが、公明党の先生方はそのまま固まっていた。
デモの後、議員会館で院内集会が予定されていた。集会への参加は「村民」達にお願いすることにして、私達は記者クラブの喫茶室で遅いお昼をとることにした。
「あれっ、ビールはないの?」Sの声がした。この日は快晴で、みんな喉が渇いていた。