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「キブツからの 帰国報告
2008年7月5日 大西 俊明
                    

Subject: 感想記

渡部 修様

イスラエルでの3ヵ月間を何とかメモっておきたいと思い思いつくまま、書き出しました。

14日に話をさせてもらう時、この辺に焦点を絞って、とか何か貴兄の関心度高いところがあれば、お教え下さい。

大いなる感謝、灼熱の歓喜、そして使命感を持って、そして真っ黒になってイスラエルから帰ってきました。「砂漠の砂」にならずに、兎に角無事に戻って参りました。体重は大分減りましたが。


さて3ヵ月のイスラエルの生活の一端をお伝え致します。長くなりますが、お許し下さい。


最初の2ヵ月は、北のキブツ・ヘフチバで、ヘブライ語の特訓、午後は日本庭園の芝刈り、池の清掃等の労働。夜は度々里親を訪ね、開拓時代の苦闘の話、ユダヤ民族は記憶の民であると共に伝承の民であるという話、ユダヤ人のアイデンティティー、常時臨戦態勢にある人々、新帰還者の受け入れ、今も村に住んでおられるホローコーストを生き残った方の話等々、色々聞かせてもらいました。ひとりでに「平々凡々」の中に生きている日本人との比較をしている自分自身に赤面したものです。

またこの間、過越しの祭り、ホローコースト記念会、戦没者慰霊祭、エルサレムでの建国60周年記念式典への出席等、色々の行事にも参加致しました。

国を守る逞しい若い兵士との対話を通し、不屈のユダヤ魂を感じる時もありました。 村の諸行事にも出席、キブツの前村長が小生の里親になってくれた為、20回ほど夕方、 お宅を訪問し、開拓時代の話、ユダヤ人のアイデンティティとは、臨戦態勢にある防衛 体制、キブツの変貌、若者の意識等、普段聞きたいと思っていたテーマに付いて、色々教えて 頂きました。

そういう中、エルサレムで開催された、「建国60周年記念式典」に出席し、そのテーマが「明日に向けて」であり、 中央の演壇に出てくる人の半分以上が子供達で、日本の建国記念日の式典との余りの違いにショックを受けたものです。

後半の1ヵ月は、南の灼熱のネゲブ砂漠・荒野での一人での生活、緊張の日々を体験しました。ただここは、小生にとっては本命とも言うべき、ベングリオンが首相を辞して移り住んだキブツスデー・ボケルであり、貴重な体験の日々でありました。

このキブツでは、ベングリオンが住んだ家の隣にいた人で、当時の村の収入役であった 方から、半日に渡り色々お話を伺ったり、彼のボデーガードであった人、彼の手書きの 原稿を全てタイプした女性等、ベングリオンと共に生活した人から直接彼のキブツでの 生活ぶり、性格、行動そして、彼を敵から守る兵士、その時の村人の対応等の話を聞かせてもらい、小生は最高に「幸せ」でした。ノートも溢れるくらいメモりました。

また、彼の「追体験」をするのに可能なものは全て見せてもらい、また多くの現場に行き、ベングリオンだけでなく、彼の奥さんポーラ夫人についても色々、話を聞かせてもらいました。

一方、砂漠のど真ん中にあるベングリオン大学・ネゲブキャンパスにおられる各分野の教授に、インタビューを申し込み、砂漠の農業、太陽エネルギー発電、排水の再使用等、個々に 直接具体的なテーマで話を聞かせてもらったり、実験場、試験農場、排水処理施設等も 見せてもらいました。

その大学に通う学生、特に東南アジア、アフリカの国々から奨学金を受けながら派遣されて来ている多くの研究生と会い、話を聞かせてもらう中、自国の発展を願って調査、 研究している姿は感動的でした。この姿を日本の若者に見せてあげたいという思いに駆られました。

次の本は若者と共著とすることも決まり、時代を担う若者が、自分の国の未来に心を注ぐことを自然の感じるように執筆しようと思いをめぐらしています。

撮った写真は2000枚、ベングリオン関係でも800枚くらいありますか、集めたドキュメントはA−4サイズのコピーにしてカートンに2箱分、これからこれをどう読んで、咀嚼していくか、頭が痛い話しではあります。

小生の現在の心境は、日本の将来をキチッと見据えた、志のある若者が一人でも多く出てきてもらいたい、その為に何ができるか、またするかであります。ボーットしている暇はないという感じです。

先ずは無事戻ってきたことをお伝え致します。

大西 俊明


参考:「キブツ滞在3ヶ月」イスラエル建国の基い −キブツの素顔
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