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いったい誰の為の遺伝子組み換え種子なのか?
ここまで考えると、私はいつも疑問に思う、「遺伝子組み換え種子とは、いったい誰の為のものなのか」と。もちろん遺伝子組み換え種子は消費者が望んだものではない。多くの消費者は、遺伝子組み換え作物の安全性に疑問を持ち、できることなら口に入れたくないと思っている。
農家は、どうだろう。遺伝子組み換え作物を栽培することで、農薬の使用頻度が減り、確かに労力の軽減につながった。しかし、もし、近い将来、遺伝子組み換え作物が人体に多少なりとも悪影響を及ぼすことが明らかになったらどうなるだろう。遺伝子組み換え作物は、全く売れなくなり、農家は大損するだろう。在来型の作物を栽培していても、十分に農家として食べていけたのに、遺伝子組み換え作物を植えたばっかりに、農家は壊滅的な被害を受けることになる。この悲劇のシナリオが現実のものとなるのではないかと、ビクビクしながら遺伝子組み換え作物を栽培している農家は実際、多いのではないだろうか。
では、食品業界は、どうだろう。ヨーロッパで「遺伝子組み換え食品廃絶運動」が盛んになった時、多くの食品会社が遺伝子組み換え種子由来の作物をメニューや原材料から排除する為に多額の資金を使った。「偽りの種子」の著者、ジェフリー・M・スミスは、本の中でこう述べている。「結局のところ、食品業界が遺伝子組み換え食品を作ってくれと頼んだわけでもないし、また同食品から何ら恩恵を受けたわけでもなかった(からである)。遺伝子組み換え食品は、通常の食品より安くもないし人気があるわけでもなかった。彼らにとって遺伝子組み換え食品とは、無神経で欲深いアメリカ企業から押しつけられた、とても高くつく問題児だったのだ。」
遺伝子組み換え種子に飛びつく前に私たちがすべきこと
?人類は破局を回避することができるのか?
所詮、遺伝子組み換え種子はバイオ企業が金儲けの為に開発し、「良い製品だから、買え、買え、買え」と私たちに押しつけている代物に過ぎないのではないだろうか。だから、私には、バイオ企業の描く「遺伝子組み換え種子が創る輝かしい未来」が、もの凄?く嘘っぽく見える。バイオ企業は、元々、自分たちの製品が売れればそれで良く、アフリカの飢餓を撲滅させる気など、さらさらなかった。環境保護団体や消費者団体などの抵抗が余りにも強烈で、自分たちのイメージが余りにも悪いため(モンサントは、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤、Agent Orangeを製造していた。)、慈善事業っぽい方向性を強調するしか、生き残る術がないと判断したから、そうしたに過ぎない。元々の動機が不純だから、「遺伝子組み換え種子が地球を環境破壊や飢餓から救う」という、聞えは良いが、よく考えてみると穴だらけで、しっかりした根拠もない、夢物語を振りかざし、必死に、私たちを言いくるめようとしているようにも見える。
確かに、企業であるモンサント社が、自社製品をアピールし、利益追求の為に最大限努力することは当たり前のことだ。また、遺伝子組み換え技術は、医療の分野で人命を救う可能性が十分に期待されているのだから、今後も研究されていく必要があるだろう。
しかし、だからと言って、安全性に疑問が残り、長期にわたり環境に悪影響を与える危険性が疑われている遺伝子組み換え種子をバイオ企業に言われるがままに、ホイホイ植えても良いのだろうか。遺伝子組み換え種子による農作物の増産は、私たちが抱える諸問題を根本から解決するものではない。余計に状況を悪化させながら、人類破滅へのタイムリミットをほんの少し先延ばしするだけだ。バイオ企業が宣伝しているほどの恩恵を地球にもたらすことはないと、私は見ている。
だから、このバイテク技術に飛びつく前に、私たちには、しなければいけないことがあるはずだ。あらゆる分野で無駄をなくし、省エネを徹底することはもちろんのこと、絶対に避けて通れないのが人口抑制と、それを下支えする社会システムの構築だと思う。ここに大金を投入し、少しでも人口の増加を抑えることができれば、私たちは本当に人類を破局から救うことができるかもしれない。
でも、私はわかっている。人口抑制という痛みを伴う大胆な対策を実行できるほど、人間は忍耐強くもないし、賢くもないということを。私たちができることと言えば、人口問題に真正面から向き合うことなく、次世代に負の遺産を残すとわかっていながら、遺伝子組み換え種子に手を出して農作物の増産を図り、飢える貧困層を生かさず殺さずにして、問題を先送りすることくらいだろう。結局、私たち人間は、間近に迫った破局を肌でピリピリ感じながら、まるで何事もないように平常を装い、或は、恐怖の中で苦痛にのたうち回り、人類滅亡への道を突き進んでいくのだろう。
「母なる大地」に寄せて
では、私たちには全く希望がないのだろうか。もし、人類に希望があるとすれば、循環型の農業とそれを支える地産地消の流通システムだと、私は考えている。だが、この話を始めてしまうと、どんどん長くなってしまうので、今回はこの辺までにしたい。もし、また、機会があれば、現在、日本の農村が直面する問題や私たちが目指すべき農業の在り方について、書いてみたいと思う。そして、この章を終らせる前に、私は母のことについて、少しだけ言及したい。なぜなら、田舎で野菜作りに励む母の存在がなければ、遺伝子組み換え種子について、私がこれほど深く考えることはなかったからだ。
北海道の大地が育む豊かな食材に囲まれて育った私の母は、とても食いしん坊だ。食べることが大好きで、その為の努力は惜しまない。美味しいものを食べたければ、美味しい料理を自分で作り、美味しい料理を作る為には、食材にこだわる。そんな母が、信州の塩田平に生活の拠点を移して、初めに取り組んだのが畑作りだった。
毎年、この時期(春から夏にかけて)、母はとても忙しい。畑を耕耘機で掘り起こし、有機肥料を混ぜて、畑の土作りを始める。そして、春からポットに種を蒔き育ててきた苗を畑に移植する。それぞれの苗には、それぞれの対応方法があり、藁を敷いたり、支柱を建てたり、水をこまめにやったりと大忙しだ。梅雨の時期がくれば、雨水を吸った雑草が一挙に増えるので、草むしりに忙しい。収穫してきた野菜には虫に食われたものや食べられない雑草などが混じっているため、それを選り分け、泥を落して、やっと料理に使う為の下準備が整う。
そんな母の日々の努力が形となり、我が家の食卓には毎日、採れたての野菜が並ぶ。スーパーで売っている野菜とは、これが同じものか?と思う程、味が違う。採れたての野菜には、弾けんばかりの旨味と独特の甘みがあり、口に入れると、あまりの美味しさに「あ?、生きててよかったな?。」と思わず溜め息がもれる。その度に、自分が自然の一部であり、偉大な「母なる大地」に生かされていることを再認識する。父や私は、様々な場所で農業やエコロジーについて、偉そうなことを言ったり(父)、書いたり(私)しているが、結局のところ、母なる大地の恩恵を慎ましやかに受けとめながら、自然と波長を合わせて生きる生活の素晴らしさを教えてくれたのは、他でもない、母なのだ。美味しいものが食べたいから、それを食べる皆の笑顔が見たいから、今日も鼻の頭に汗をかきかき、畑の土と格闘する母に、この「母なる大地 ?遺伝子組み換え種子は、人類を破局から救う救世主と成りうるのか?」を捧げたい。
そして、私の拙い文章を最後まで飽きずに読んでくださったモラル会の皆様と、原稿を毎回アップしてくださった渡部英宣氏に深く感謝いたします。
あとがき
遺伝子組み換え種子の安全性や環境に与える影響について、ここでは、あえて多くを語らなかった。安原和雄氏の危険な「遺伝子組み換え」作物や渡部英宣氏の「遺伝子組み換え技術への幾つかの疑問!」で既に、問題が明確に示されているからだ。科学の世界では、「100パーセント安全」とか、「100パーセント安全でない」とは、なかなか言い切れない。長い時間をかけてデータを集め、それを分析し、優秀な科学者達が集まって検討しても、意見が二つに割れることがよくある。 遺伝子組み換え種子の安全性や環境に与える影響についても、永遠に白黒ハッキリさせることができないかもしれない。
現在、遺伝子組み換え技術は発展途上の段階だ。個々の遺伝子の配列や機能については、大部分が解明されたと言われているが、DNAの中の遺伝子同士が、どのような相互作用の上に成りたっているのかは、まだ、わかっていない。遺伝子組み換え技術は、個々の遺伝子が、DNAの中の他の遺伝子とは関係なしに、独立して機能していることを前提に発展してきた分野だ。遺伝子組み換え種子の中には、遺伝子同士の相互関係が破壊されていて、今の科学では知り得ないレベルで重大なミスを犯しているものが含まれているかもしれない。そして、そのようなミスが人体に、そして 生態系に、どのような影響を与えるかは、今の段階では未知数だ。
科学の躍進が、メディアで積極的に報道される中、私たちは、とかく「科学は万能」だと考えがちだ。しかし、この世の中には、科学で解明されていることよりも、まだ解明されていないことの方が断然多いことを忘れてはいけない。
参考図書
「遺伝子組み換え作物が世界を支配する」 ビル・ランブレクト著 柴田譲治訳 日本教文社(2004)
「偽りの種子 遺伝子組み換え食品をめぐるアメリカの嘘と謀略」 ジェフリー・M・スミス著
野村有美子・丸田素子訳 家の光協会(2004)
「バイテクの支配者 遺伝子組換えはなぜ悪者になったのか」 ダニエル・チャールズ著
脇山真木訳 東洋経済新報社(2003)
「誤解だらけの「危ない話」食品添加物、遺伝子組み換え、BSEから電磁波まで」
小島正美著 エネルギーフォーラム(2008)
Diamond, Jared. Collapse:How
Societies Choose to Fail or Succeed (New York:Penguin, 2005).
Pollan, Michael. The
Omnivore’s Dilemma:A Natural History of Four Meals (New York:Penguin, 2006).
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