モラル会
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「モラル会」

渡部 修 (わたべ おさむ) 商品情報センター社長 
 
 今年の一月三十日、三十一日と広島県に出向いた。めったに紡れる機会のない土地へ足を運ぶのは、それでなくとも、心躍るものがある。十五、六人の人達と一緒に出掛けて、宮島などの風景に魅せられるとともに、もう一つ、ため急が出んばかりに魅せられた建物があった。

一九九〇年に完成した、広島銀行のゲストハウスである。
同行の寮に隣接して建てられていて、落ち着き趣の感じられる和風建築であり、庭に差し込む陽光がまばゆい。

さらに茶室があって、話によると、この茶室に一億円を投じたらしく、京都の北山杉をはじめとして、日本全国の名木を集めて建てられたようで、庭の輝きの中から、ほの暗い茶室への移動は、まさしく光と影のコントラストを実感させられる。

 この素敵なゲストハウスを案内してくれたのは、橋口牧・広島銀行会長で、そのあとには、橋口会長を囲んだ形での宴会が催された。実は、橋口会長を名誉会長とする集まりがある。会名を「モラル会」といって、月に一回ほど、数十人のメンバーによって開催される、まあ勉強会のようなものだ。
一月の「モラル会」が、広島視察だったというわけで、毎月、何らかの形で会員は集まる。 
二月は「気功」をテーマに、会員からのレポートがあって、驚いたことに「気功」の言葉自体は、八五年に日本に入ってきたもので、それ以前には存在しなかったことを知った。つまり、辞書などには載っていなかった。

 現在、会長を足利工業大学教授の安原和雄氏に務めていただいているが、この会のそもそもの発端は、六七、八年ごろにまでさかのぼる。 安原米四郎先生は、銀行協会の事務局長を務めた人で、戦後、帝国銀行の万代順四郎頭取らとともに銀行協会をつくった人物である。岩波新書から「銀行」も出されているが、この安原先生と私の家が近かったこともあって、親しいお付き合いをさせていただいた。銀行協会事務局長を六十歳でやめられ、同協会の顧問に就くと同時に、学習院大学の講師をされたり、横浜商科大学教授として教鞭をとられたりしていたのだが、読書会をやろうではないかという話になり、安原先生をはじめ、三室孝之・金銀大阪センター所長ら四人で会はスターした。

 当初は、文字どおりの読書会で、難解な書物を読んでは、その内容について議論した。確かに『経済学教科書』など、理解するには相当時間が必要な本が多く、日ばかりでなく頭まで三角になっていた気がする。
 先生が、見かねたのか、たまには講師を呼んで話をしてもらう形式も取り入れようということになり、読書会の中に「話を聞く会」がチラホラ入りだした。 朝日新聞の森恭三氏、広岡知男氏、毎日新聞出身で代議士だった木村禧ハ郎氏、鎌倉市長をしていた正木千冬氏などのマスコミ人から、井上薫・第一勧業銀行名誉会長、小山五郎‘・さくら銀行相談役、佐々木邦彦・富士銀行相談役、佐々木直・元日本銀行総裁らが、話をしてくれた。

 安原先生の父親と交友の深かった佐々木恭太郎氏(当時、中越パルプエ業社長)にも何度か来ていただいたり、まことに実のある会だった。こうした方々の話を聞き、また親しくさせて頂ける機会があったことは、私にとって財産である。みな熱心に語ってくれた。

 スタート当初は、確か「安原会」といっていたが、三、四年過ぎたころに、先生が「教育とモラル」なる論文を発表されたのを機に「モラル会」になったと記憶する。 この会も、かれこれ二十五年以上の年月を重ねてきた。先生は亡くなったが、「モラル会」は現在も、そして将来も続くはずだし、また、続けていきたいと思う。四人からの出発だったが、会員数も増え、四十人近くにまでなったが、いわゆる幽霊会員もいて、それが少し残念である。 現会長の安原和雄氏も「提言するモラル会、行動するモラル会を日指したい」と言われる。私もそうあってほしいと願う。いつまでも活気のある会であり続けたい。

(財界 3月30日1993年)より

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